『SWING UP!!』(第1話〜第6話)-169
「大和君?」
「あ、うん。ありがとう」
わずかに降りてきた感傷は、目の前に差し出されたペットボトルによって払われた。
「飲むでしょ?」
「う、うん……」
既に蓋の開いたそれは、三分の一ほど目減りしている。減らしたのは紛れもなく、桜子である。
コップを用意するでもなく、そのままボトルを差し出しているのだから、そのまま飲んでもいいということなのだろうが…。
「………」
二人は既に、男女の仲である。そのための順序といえる“ABC”の段階はいずれも済ませ、互いに傍にいることが今では当たり前と思えるぐらいの親密な間柄だ。
(間接キスになるけど……いいのかな)
それでも意識してしまうのは、男の方がナイーブな面が強いからであろうか。とにかく大和は、なぜか少しだけ緊張しながら飲み口に唇を寄せた。
ごく…
桜子の唇が触れたであろう箇所に口をつけ、大和はボトルを傾ける。プラスチックの感触しかしないはずなのに、柔らかく温かい確かな“まぼろし”が浮かんできた。
夏の暑さだけではない火照りを冷ますように、大和はそれを勢いよく呷った。凍らせていたものが、自然の熱に融かされてドリンクに還元したものだ。氷の部分は欠片ほどしか残っていなかったが、それでも充分な冷たさで喉を潤してくれた。
「ふぅ……」
渇きが癒えて、ひと心地がついた。水分を身体に入れたことで、それが更なる発汗を促し、体温が上昇していく感覚が大和の中で生じる。活発な代謝が行われている証であり、じっとりと体中が汗ばんでくる。
しかし、汗が吹き出るこの感覚はむしろ、大和にとっては心地がよい。体が内側から浄化されているように感じるのである。迷いや悩みが汗とともに体の外に漉しだされ、純化してゆくような気がして…。
「大和くん?」
「あ、うん」
再び降りてきた感傷は、桜子が差し出したタオルによって払われた。
「すごい汗」
「暑いからね」
受け取ったタオルを、そのまま顔に押し付けた。
(……ん?)
桜子の香りを、その中に感じた。これも、先に彼女が使ったものだからだろうか。
「あ、ご、ごめん」
怪訝に思ってタオルを顔から遠ざけたとき、微かに顔を紅くしている桜子を見た。
「あたしの、そのまま……渡しちゃった……」
どうやら、汗にまみれながらそれを拭おうとしない大和を見かねて、無意識のうちに手にしていたタオルを差し出してしまったのだろう。そして、感傷の中にあった大和は、なんの疑念もなくそれを使ったというわけだ。
「ひょっとして、気にする方?」
だとすると、間接キスになってしまったペットボトルの件も、はっきりさせた方がいいのかもしれない。
「あ、あれは…、いいんだけど…」
どうやら、そちらの方は確信犯だったらしい。桜子の顔が火照ったように見えるのは、夏の暑さばかりではないだろう。
(かわいい、な…)
180センチを越える長身であっても、桜子が女の子であることに変わりはないし、その仕草はやはり愛らしい。よく気がつくし、優しいし、なんといっても“趣味(野球)”が合う。
そんな子が自分を好きでいてくれて、こうやって傍にいてくれるというのは、なにものにも代えがたい幸福である。
「タオルは、気になったんだね」
「あ、あたしもいっぱい、汗かいちゃったから……」
何度も肌を重ね、互いの隅々を許しあった仲でも、それが気にかかるのはやむを得ないところだろう。
「………」
恥らっている桜子の仕草に、大和は体の芯に甘い疼きを覚えた。薄闇の中でしか見せない彼女の淫靡な姿が、脳内で煌々と光を放っている。
「ねえ……。なんか、目つきがいやらしいよ……」
「え?」
桜子の洞察力は、優れたモノがある。打席に迎えた相手打者のクセや、どんな球に狙いを絞っているのか、察知する必要のある捕手というポジションを実戦の中で務めるうちに、磨きもかかってきたのだろう。