『SWING UP!!』（第１話〜第６話）-167
「大和くん？」
チームは現地で解散し、それぞれが家路に着く中で、その場を動かない大和をいぶかしむ桜子。試合の終わった今日は、彼の家に行くことに決めているので、彼女の荷物は大きい。
「今日は、疲れたでしょ？ 早く帰って、休まないと……」
“早く帰ろう”という桜子には、由梨に教えられた野菜炒めのコツを早く試したい思いもある。大和の部屋で、シャワーと着替えを済ましてから、色々と買出しに行こうとも確認しあっている。試合を終えたことで緊張感を緩めた彼女は、待ち望んでいた恋人との時間を楽しみたいという乙女心にもくるまれていた。
「バス、もう来てるよ？」
國文館大学は、城北町の外れにある。大和の住まいがあるのは城央市だから、バスでまずは城央駅前に行かなければならない。
「早く、いこ？」
腕に軽く手を添えて、大和を促す。
しかし、彼はやはり脚を動かそうとはしなかった。
「桜子さん、僕、駅まで歩いて行こうと思うんだ」
「え、えぇ！？」
バスなら１５分ほどの道程になるのだろうが、徒歩となれば１時間はかかる。それを大和は歩くという。
「ど、どうして？」
当然、桜子はその理由を聞いた。疲労もあるだろうに、彼はさらに疲れるようなことをしようというのだ。
「スタミナをつけるんだ。１試合投げきるだけの、スタミナを……」
「や、大和くん。それは―――」
オーバーワークを懸念して、桜子は難色を示した。自分が素振りのやりすぎ…いわゆる“オーバーワーク”でマメを潰してしまった時はひどく叱ったというのに、今の大和はその時の自分と同じことをやろうとしているように桜子には見える。
「無茶はしないよ。ウォーキングは、ひどく疲れることじゃない。でも、毎日続ければ、ランニング以上にスタミナは身につくんだ」
それを実践してきた経験が、大和にはある。炎天下の甲子園で連戦連投を重ねることができた基礎体力は、リトルリーグにいるときから欠かさなかった“ウォーキング”の賜物だったのだから。
「でも……あっ」
そんな二人を置き去りに、バスは出発してしまっていた。
「もう……しょうがないんだから」
出てしまったバスの後ろ姿を、追いかけようともしない大和のまなざしには揺るぎがない。それを見て桜子は、彼を翻意させることは難しいと見切り、そして、観念した。
「あたしも、歩く」
「いいのかい？」
「途中で無理して、倒れたりしたら、いやだもん。それに、大和くんが歩くっていうんだから、あたしも一緒に歩きたい」
切り替えが早いというのは桜子の長所だ。大和の“歩く”という意思を認めた彼女の顔には、眩いばかりの笑顔があった。
「えへへ。大和くん、すっかり本気になってるね」
初めて出会った時の、霞んでしまいそうな雰囲気はもう微塵もない。こちらが引っ張られそうなぐらいに、強い魂魄を大和の中から感じることができる。
「みんなの……桜子さんの、おかげだよ」
「い、いやだなぁ。くすぐったいよ」
「ありがとう」
「！？」
桜子の頬に、暖かさが宿った。大和の唇が、触れたからだ。
「あ、あの、あの、あの？」
何が起こったかわからないように、頬にそっと触れる桜子。大和の唇の感触が、確かに残っていた。人通りがほとんどないとはいえ場所を考えると、嬉しくはあるがあまりにも恥ずかしい。
「監督のマネ。いいもんだね、あれ」
珍しくも、茶目っ気を出している大和であった。そのまま彼は、バックを抱え直すと歩みを始める。
（どうせなら……こっちがよかったな）
そっと唇に指を寄せる桜子。何度も交わした口づけの感触を思い出すように。
「あっ……」
気がつけば、大和の背中が早くも小さくなっていた。なかなかの健脚である。
「ま、待ってよ、大和くん！」
そんな大和の背中に気がつくと、ほとんど駈け足のように桜子も前進を始めていた。