***君の青 @***-4
「いい香りだね」
僕の顔に、笑顔がぱっと咲いた。
「あ、ありがとうございます」
「それじゃあ、いただくね」
「・・・はい」
細井さんはゆっくりとカップに口をつけ、一口飲んだ。喉が、わずかに波を打つ。
「ど、どうすか?」
まだカップから口も離していないのに、僕は身を乗り出しながら訊いた。
そうせずにはいられなかった。細井さんは目だけをこっちへ向け、「ん?」
と、いうような表情でカップを持つ手を下ろした。
「君が言うほど、久世君と違いはないと思う。ただ・・・」
「ただ?」
僕の体がぎりぎりまで前進する。
細井さんは、あごをしゃくった。
「もう少し深みがあってもいいかな」
「・・・深み」
「うん。でもうまいよこれ。今度から僕のやつは絆君が煎れてくれよ」
「ほんとに?」
僕がもう一度聞き返すと、彼は黙って一つ頷いた。
と、口元が弓なりにつり上がり、僕はもうむちゃくちゃな笑顔を作っていた。
別に最高に美味いといわれたわけでも、親父と同じくらいと言われたわけでもない
のに、正直、ものすごく嬉しかった。
「これからの目標は、深みというわけですね」
と、僕が言うと、細井さんは笑いながら、
「君ならやれるよ。絆君」
と、僕の肩を叩いた。
細井さんが帰ってから閉店までの数時間は、あっという間だった。多分、彼の励ましの言葉がきいたのだと思う。僕は静かになった店の中で一人、出来上がったばかりのコーヒーを、カップへゆっくりと注いだ。コーヒーの深みについて考えるには、まず自分の煎れたコーヒーの味を再確認し、そしてしっかりと記憶する必要があったからだ。舌の先に全神経を集中させながら、一口、飲んでみる。細井さんの言葉の意味がよくわかった。親父の煎れたコーヒーと比べて、僕の方が確かに深みがないように感じられる。と、いうよりも、比べるのも馬鹿らしいくらいにその差は歴然としていた。こんなインスタントみたいなコーヒーを、細井さんは本気でおいしいと言って飲んでくれたのだろうか。
ひょっとして、僕を傷つけまいとしてあんな言い方をしたのではないだろうか。そう思えば思うほど、体の奥から言いようのない不安が込み上げてくる。
「やめた、やめた。続きは明日にしよう」
急に全てが面倒になって、僕はスツールから飛び降りた。と、不意に入り口に下がっている鈴がカラランッと来客を知らせた。そういえばコーヒー作りに夢中で、外の札を「CLOSED」にするのをすっかり忘れてしまっていた。お客さんには悪いけど・・・断るか。そう思って振り向いた瞬間、僕の鼓動が、まるでCDのように一つ飛んだ。ドアの前に立つお客さんに、視線を真っ直ぐに当てる。見間違えるはずがない。僕は、あの女性を知っている。
「お前・・・」
かすれた声で僕が言う。
「よっ!久しぶり」
彼女は、まるで昨日も会ったような顔で軽く右手を上げ、はにかむように笑った。
「・・・雫?」
やっぱりだ。僕の目に映っているのは、紛れもなく雫だった。あれほど長かった髪は肩のところでパッチリと切りそろえられ、その間から見える先の少し尖った耳には、空色の小さなピアスをしている。そして、その色に合わせるようにして、同色のカーディガンをピートブラウンのクールネックセーターに重ね、他は黒のタイトスカートという大人びた服装に身を包んでいる。