■LOVE PHANTOM■十章■-1
「もっと速く走るんだ靜里。奴はすぐに追いついてくる」
「だめ、もう、走れない叶、少し、休もう」
どれだけ雪道を走っただろう。叶と靜里の二人は、広々とした公園まで来ていた。
公園とは言っても、そこには子供達が遊ぶような物は一つもなく、あるのは幾つかのベンチと、大きな噴水だけである。
ここに来るまで、一度も立ち止まる事なく、走り抜いた靜里だったが、ついに体力の底がつき、その場にぺたりと座り込んでしまった。
それを見た叶は、握っている彼女の手を何度か引きながら言った。
「走るんだ靜里。立て」
「だ、だめ・・・少し、だけ」
しかし靜里はそれに応える事なく、腰を浮かせない。途切れ途切れの呼吸と一緒に吐き出される言葉が、その苦しさをリアルにものがたっている。
「でも、ありがと・・・叶が、窓から来て、くれなかったら、あ・・・危なかった」
「そんなことはどうでもいい。早く立て」
「靴も・・ありがと」
「お前を背負って走れるか。早く立て」
そう言うと叶は、疲れ切っている靜里を無理やり引き上げ、どうにか立たせると、座り込んだときに付いた雪をほろってやった。しかし、靜里の足には、既に力が入らず、叶の雪をほろう力で、よろめく程になっている。
「大丈夫か」
「うん」
叶の胸に寄り掛かりながら、靜里は笑って見せた。しかし、その笑顔に、「大丈夫」
を証明できるものは見当たらない。叶はそっと、手のひらを靜里の頬へあてると、目を細め、わずかに笑って見せた。
その顔を見た靜里は、ゆっくりと叶の胸の中へと、顔を埋め、彼の背中へとそっと手をまわした。叶もまた、それに合わせるかのように、靜里を両腕で包み、きつく抱き締め、目を閉じた。互いの温もりが、互いを暖め、心までも落ち着かせてゆく。
どれだけの時間を、こうしていただろう。ほんの一瞬のような気もすれば、とても長い時間抱き合っていたようにも思える。
先に目を開けたのは靜里だった。
ゆっくりと叶の胸から、顔を離すと、彼の顔を見上げ、見つめる。叶もまた、それに合わせて、ゆっくりと、瞼を開き、靜里を見つめた。
「あの男の人は誰なの?」
瞳を潤ませて靜里が言った。
「・・・心配するな。お前は必ず俺が守ってやる」
そんな彼女を、瞳に映しながら叶は、一言一言を噛み締めるようにして言った。
しかし、それでは納得出来ないというふうに、靜里は首を振り、再び叶を見つめる。
「教えて。お願い」
「・・・・」
「叶」
「あいつはおそらく」
靜里に促され、叶がためらいがちに、口を開こうとした、その時である。
「そこにいたか・・妻よ」
静かな空間は粉々に砕かれ、低い声が、辺りに響き渡り、二人は動きを止めた。
一瞬、粉雪が突風によって巻き上げられ、それは霧のように空中を漂う。そしてその霧の先には、髪の毛をなびかせている那覇の姿があった。
那覇はゆっくりと、二人の元へと歩み寄ってくる。
「か、叶・・」
迫りくる恐怖に、靜里は震え、叶の袖を両手でしっかりと握った。
「消してやる」
近づいてくる那覇を睨みつけながら、叶が呟いた。しかし、その言葉とは裏腹に、額にはじっとりと冷たい汗をかき、強く握られている拳は僅かに震えている。
「叶」
「大丈夫だ」
叶は軽く笑って見せた、が、心中穏やかではない。油断していたとはいえ一度は負けた相手を目の当たりにしているのだから恐怖しないほうがおかしい。 叶が一歩前へ出ると、那覇は立ち止まり、
「来るか、死も恐れずに」
口元へ笑みを浮かべ、拳を強く握った。叶もまた、同じようにして、身構えると、ちらりと後ろにいる靜里へと、視線を向けて言った。
「靜里、あいつの正体だが・・」
その言葉に靜里の肩がぴくんとはねた。
「奴は、ヴラド・ツェペシュだ」