子羊の悩ましい日々 〜歓迎会〜-1
「子羊の器たる者が見つかりました」
「それはまことか!?」
「はい、間違いありません」
「おお……これで我々も楽になる。して、その者はいずこに?」
「間もなくこの地に訪れます」
「そうか、それでは歓迎の宴を開かねばならんな」
「地母神ラーナ様、無事着任したことをご報告します」
広い礼拝堂の中、透き通るような少年の声が響く。
少年の名はロイ。肩まであるさらさらした金髪と、くりっとした大きな瞳が印象的な童顔が、彼を一見すると少女と見間違えさせる。
身体を覆う草色のローブと、細い首にかけられた聖印は、まぎれもなく地母神ラーナに仕える司祭を示すものだ。
ラーナは大地の豊穣を司り、ひいては母性を守護する神である。ラーナ神の司祭は、結婚の儀を執り行うと共に、健康な子供を授かるための祈りを行う。
ラーナに仕える者のほとんどは女性であり、男性が神官から司祭へと出世する例は非常に稀である。それだけロイは優秀であり、若輩の身でありながら、アルディアという比較的大きな地方都市のラーナ神殿に赴任することとなった。
今は、着任したことを礼拝堂のラーナ神像に報告しているところである。
「ロイ司祭」
鈴を転がしたような美しい声がかけられる。ロイが振り返ると、そこにはこの神殿の責任者であるソフィア司祭長がやわらかな笑みを浮かべて立っていた。
20代前半にかかわらず、敬虔な司祭として修行を積み、最年少にして司祭長となった才媛である。長く美しい黒髪が真っ先に目につくが、それ以上に美しい顔に浮かぶ穏やかな笑みが印象的だ。
「ラーナ様へのご報告は終わりましたか?」
「はい、司祭長」
「それでは、これからのロイ司祭の仕事の説明をしますので、こちらへ」
その言葉に、ロイはやや緊張した表情で頷いた。
故郷の村の期待を一身に受けた身。期待に恥じない立派な司祭とならなければいけない……。
小声でひとつ「よし!」と自らを奮い立たせると、ロイはソフィアの後をついていった。
「あの、本当にこちらでよろしいのでしょうか?」
ロイは不安げな声で尋ねた。
それもそのはず。礼拝堂の奥にある部屋のさらに奥、燭台に隠されたスイッチによって開く巧妙な隠し扉から、長い下り階段を歩いている最中なのだ。上司である司祭長へ思わず確認したくなるのも当然のことだろう。
しかし、ソフィアはやわらかな笑みを浮かべたまま、ロイを誘う。ロイは、ただ大人しくついていくしかなかった。
どれだけ歩いただろうか。実際は大した時間ではないのだが、ロイにとっては無限にも等しい時間だった。暗闇の中、カンテラの灯り一つだけで下へと降りるうちに錯覚による浮遊感に、少し顔色が悪い。
「ロイ司祭、大丈夫ですか?」
優しい声をかけながら、ソフィアはロイの左に立ち、右腕をロイの背中から右の二の腕に回す。そのまま抱き寄せるような感じでロイの身体をそのまま支える。ローブごしにわずかに感じるソフィアの体温と、何よりその豊満な胸の存在を左腕に感じ、ロイは思わず顔を赤らめる。
「もう、すぐそこですから」
階段を降りきった場所から十数歩歩いた先に大きな扉があった。複雑な装飾が施された扉で、ロイはその威容に思わず息を呑んだ。
「ソフィア司祭長、ロイ司祭、参りました」
ソフィアが朗々と声を出すと、その大きな扉は音もなく開いていった。
ざわざわ――
最初に耳に入ったのは、無秩序な喧騒だった。扉が開いていくにつれて、喧騒は次第にやみ、ひそひそ声が聞こえてくる。
(人? それもたくさん……)
ロイは最初そう思った。無数の気配を感じる。だが、次の瞬間には声にならない悲鳴を上げていた。
「――!?」
扉の向こうには千人以上収容できるであろう大広間があった。
しかし、そこにいたのは人間ではなかった。
モンスター――ただの動物や植物にはない魔的な力を有した種族、その種別は無数にあると言われる生命体。
そのモンスターがたくさんいたのだ。先ほどの喧騒も、このモンスターたちによるものだったのであろう。
「し、司祭長……!?」
ロイは声にならない声で、かろうじてソフィアに問いかける。聞きたいことは無数にある。だが、今のロイには、正確な言葉で質問をつむぐ余裕など存在するはずもない。
「ようこそ、ロイ司祭」
静かな、しかし、この大広間に響く凛とした声に、ロイは自失状態から脱する。後ろで扉が閉まる微かな音がする。だが、そんなことに気づく余裕もなくただ前を見る。ロイに向かってゆっくりと歩いてくる者がいるのだ。