Mirage〜4th.Weakness-4
「どうしてだかわかるか?」
「え?」
思いもよらない返しに、思わず間抜けな声で応えてしまう。
「どうしてです?」
「知りたいからさ」
気を取り直して訊き返したものの、またしても予想外の切り返しに鼻白む。
「私の価値がどれほどのものか、それが知りたい」
そう言う先輩は少し複雑な表情をしていた。
価値。経済学においてそれは使用価値と交換価値に分類することが出来るが、彼女が求めているのはどちらだろうか、などと考える僕はきっとどうかしているのだろう。
「先輩ならきっと目が飛び出るような価値があると思います」
皮肉に聞こえるかもしれないが、それが僕の本音。
「ありがとう」
先輩はそれを真摯に受け止めてくれたらしく、少し照れたようにうっすらと微笑んだ。それは生きている人間ではなく石膏像だったならルーブルなりオルセーなりどこの美術館にでも持っていけそうなくらい美しかった。
「お、神崎くん、ちょうど良かった」
そんな一種の神聖感さえ漂う空間を跡形も無く破壊したのは、徐々に額の面積が広がりつつあるダークグリーンの背広を身にまとった中年の男。男はそのとぼけた額の汗をハンカチで拭いながら一番奥のデスクに鞄を丁寧に置き、後ろの棚をごそごそとやりだした。ハンカチの色が青なのはもしかしたら少なからず意識をしていたからのかもしれない。
「今日こそは勝ちますよぉ」
ばん、と机上に置いたのはいくつ、ものマス目が描かれた一枚の板。僕はため息をついた。
「先生‥‥一体僕にどれだけ負けたか覚えていないんですか?」
「覚えてるよ。20回だろう?」
僕はもう一度大きくため息をついた。
「24回です。ぎりぎり四捨五入できるからってサバ読まんでください」
「いいから、いいから。ほら、座った、座った」
僕は促されるままに椅子を持って教授用の机の前に将棋板をはさんで教授と向かい合った。こんなタヌキがアメリカの某大学で助教授をやっていたなどとは到底思えない。そこまで考えていや、と考え直す。彼なら向こうでもこうやって将棋を差していたかもしれない。ジャパニーズ・チェス。
「今日は何を賭けます?」
僕はばらばらになった駒の中から香車を探す教授に言った。いつもいつも僕の圧勝で終わるこの勝負に緊張感が無い、と言い出したのは教授の方だった。そのおかげで僕はこれまでに缶コーヒーを7本、学食の日替わり定食を3食分、さらには壊れた腕時計まで修理してもらった。
「そうだなぁ」
性懲りも無く乗ってくる教授は年々荒野と化していくその額を軽く掻く。
「私とのデート権、なんて如何です?」
奥原先輩は僕の肩越しにそう言った。生暖かい吐息が耳朶に取り付いたが、僕は振り返らなかった。