淫魔戦記 未緒&直人 2-1
薄暗い堂内に、対峙する二人の男がいた。
一人は年老いてはいるが、ばりっと豪華な僧服姿。
もう一人は武士らしい服装だがだいぶよれよれで、みすぼらしい。
だが、まだ若い。
「……わしの天地千年を見通す目をもってしても、あの男が天下を握る未来しか見えぬ。潮時じゃよ、直之介」
武士は黙っていた。
「……何故、そのような事を拙者に告げる?」
しばらくして若武者は、そう聞いていた。
「神保家の当主は拙者ではない。風来坊の拙者に用があると言うからわざわざ出向いて来てみれば、一族のはみ出し者にそのような戯れ言を……」
若武者の言葉は、老僧に遮られた。
高い笑い声に、若武者はひるむ。
老僧は、ただ笑っているだけなのに。
「わしの目は天地千年を見通すと言うておろう。今の当主が傀儡である事も、はみ出し者とされる若いお主が開祖の魂を受け継いでいる事も、見ておるよ」
老僧は、にんまりとした笑みを浮かべた。
「開祖の魂を受け継いでおる以上、いずれはお主が当主となる運命じゃ。ならば、直に話した方が手間が省けるというものじゃよ」
若武者はため息をついた。
「……あなたにはかなわないな」
そして、ニヤリと笑う。
「いいだろう!神保家に何を望む?」
「わしと共に、あの男を支えて欲しい。何、しばらくすれば帝も京を出てこちらへやってくる。それまでにせいぜい快適な都を造っておけば良いのよ」
「……分かった。では京には分家を残し、本家はあっちに引っ越そう」
「……済まぬな」
「いいって事よ」
若武者はひらひらと手を振った。
「では、本家の引越し先を見立てておいてくれよ」
「しかと承った」
「じゃあな、天海。また会おうぜ」
そう言うと、若武者はお堂から出ていった。
老僧の名は、天海上人。
若武者の名は、神保直之介。
この会談を境に神保家は京から江戸へ引越し、都を守っていく事となる。
「どうしました、若。お顔の色が優れませんが」
腹心・中西榊の言葉に、直人は顔を上げた。
「夢見が悪くてね」
直人はあっさりと答えた。
手元は小鉢の中の納豆にたれと薬味を入れ、箸でかき混ぜている。
よほどの事がない限り榊と二人で向かい合って食事を摂るのが、直人の習慣だった。
「戦国時代辺りに生きてた先祖の記憶だ」
「それはまた……」
だし巻き卵を頬張りながら、榊は同情した。
開祖から受け継ぐ記憶の中には、かなり残虐なものもあるようだ。
直人が幼い頃は毎晩のように添い寝し、夢という形で現れる祖先の記憶にうなされているのをそばで介抱していただけに、榊は直人の苦しみが分かる。
その割に行動に緊張感がないのは、直人が同情されるのを嫌うからだった。
「あ……あいつ、そろそろ来るんだったよな?」
かき混ぜた納豆を熱々のご飯の上に落としながら、直人は渋い顔をした。
「だからあんな夢を見たんだ」
未緒の通う私立外崎学園は、その日ちょっとした騒ぎがあった。
「突然現れた美貌の転校生、なんてベタなマンガみたいよねー」
友達の声に、未緒はうなずいて同意した。
−黒板には、大きく『自習』と書かれている。
そんな状態で勉強する生徒など、いる訳がなかった。
友達は……いい加減名前がないとかわいそうなのでここで紹介させていただくが、名を結城桂子と言う。
『けいこ』ではなく『かつらこ』と読む。念のため。
校内の最新ゴシップは新聞部より桂子に聞けと言われるほどの地獄耳だ。
一般生徒なら転校生が来た事すら知らない時に男か女かから成績、果ては恋人の有無まで掴んでいる。
だから今も桂子の周りには、転校生の情報を知りたい者の人垣ができていた。
「まあその人三年なんだけどね。大和撫子って言葉がぴったりの、しとやかな物腰の美人なのよ」
ぱたぱたと手を振り、桂子は続ける。
でろでろと情報を垂れ流していた桂子が、不意に真面目な顔になった。
「で……未緒」
「ん?」
桂子は未緒の耳元に口を寄せて囁いた。
「その人の名は、神保綾女。神保家の分家の出らしいの。このままだとあんた、一波乱あるわよ」