『―祈り―』-3
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店員は、クリスマスの夜に薄汚れてボロボロの格好をした老人が、くしゃくしゃの紙幣と小銭をカウンターにぶちまけ、綺麗に飾られたショーウィンドウを指差して、あの赤いマフラーをプレゼント用に包装しろ、という声に、最初悪い冗談だと思った。
恐ろしいことに、それが真実だとわかると、何度も老人に念を押し、紙幣と小銭を数え、信じられないといった顔で、不躾な溜め息をつくと、やっと包装にとりかかった……。
公園に向かいながら、老人は何度も呪文のようにつぶやいていた。
あの少女は死んだ娘と似ているというだけだ。あの子がプレゼントを受け取る道理はない。アパートのドアの前に置いて帰ろう。それがいい。それがいいんだ。あとはあの子の手に届くよう神に祈りゃいい。それで満足しなきゃなぁ……。
老人が突然、何かにぶつかったように動きを止め、ゆっくりと粉雪が舞う夕暮れの空を見上げた。
雪が、薄汚れた頬や唇、驚いたように見開いた瞳にさえ舞い降りて、涙のように溶けていく。
神様なんていやしねぇ……
老人は胸を押さえ、突然の発作に立っていることが出来ず、歩道に膝をついた。空気を吸おうにも肺はピクリとも動かず、目の前の街並みが急に暗さを増して、クルクルと回り始めた。
神様、こりゃあんまりだ……
老人はうっすらと雪化粧をした石畳の歩道に、釣糸を切った操り人形のように倒れこんだ……。
※ ※ ※
老人は少女の枕元にマフラーを置くと、起こさないようにそっと顔を覗きこんだ。
少女は薄いシーツに包まるようにして浅い寝息を立てている。泣いていたのか、瞼が赤く、睫毛の先が濡れて光っていた。
「じいさん、これで気が済んだかい?」
突然うしろから声をかけられた。
驚いて振り向いた老人の目の前に、少し崩れた感じの、遊び人風の男が立っていた。
男は部屋の隅のテーブルに浅く腰掛けて、腕を組み、ジッと老人を見つめている。
「あんたは誰だい?」
老人が尋ねると、男は退屈そうに肩をすくめた。
「ミカエル、と言いたいところだが、下っ端には名前なんてないのさ。ただの《天使》てとこだな。じいさん、あんたの行いを鑑みて、どうやら天国行きが決まったらしい。それでおれが迎えにきたというわけさ」
老人は男を見、娘を見、自分の足元に視線を落として、納得がいったのか、ヒドくがっかりした様子で顔をあげた。
あぁ、あの時、わしは死んじまったのかぁ……。
「納得がいったのなら、さっさと行こうか。向こうに着けば懐かしい顔にも会えるってもんだぜ」
その時、夢でも見たのか、少女が小さく呻いて寝返りをうった。
今まで見えなかった左の頬に、たぶん叩かれた時についたに違いない、小さな赤い腫れ痕があった。
「わしはあんたとは行かねぇ。この子を放って行けるわけがねぇ。わしはこの子のそばにずっとついていてやるつもりだ」
老人は辛そうに少女の顔の傷をみつめながら言った。
「じいさん、死んじまったら何も出来やしねぇじゃねえか。見てりゃ、余計辛くなるばかりだぜ」
男はうんざりだ、とばかりに手をひらつかせ、聞こえよがしに溜め息をついた。