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『―祈り―』
【ファンタジー その他小説】

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『―祈り―』-2

    ※ ※ ※
 
 
 夜、決まって買い物をする雑貨屋の主人は、赤レンガを石ノミで乱暴に削ったような顔の、必要なことさえ口にしない無愛想な大男だった。
 
 老人はそのほうが有り難かった。金と引き換えに、酒と煙草と食料を嫌がらずに袋に詰めてくれれば、それだけで十分だった。親しい世間話など、老人にとってはお互いが不愉快になるだけの悪習にすぎない。
 
「あんた、あの娘と親しいのかい」
 
 老人は最初それが主人の声だとは気付かなかった。顔をあげると、主人がジッと老人の顔を見下ろしている。
 
「あぁ、そうだが」
 
 老人は《あの娘》が、あの少女のことだとすぐにわかった。
 あの少女と公園で初めて会ってからもう10日になる。 
 朝晩、見かければ手を挙げたり、会えばおずおずと挨拶の言葉を交わしたりする間柄になっていた。
 
 老人は主人の目にためらいの影が通り過ぎるのを見た。
 怒鳴られるにしろ、なじられるにしろ、こんな時はじっと待つことが得策だ。人間、時間さえかければ、言いたいことは胸にしまっておけなくなるものだ……。
 
「あの娘、親に虐待されてるらしい。あんた気付かなかったか?」
 
 老人は思いがけない話に、呆気にとられ、ただじっと主人の彫刻のような顔を見つめ返した。
 
 あぁ、確かに、時折顔に痣ができていたり、手に包帯をしている日があった。見かけによらず活発な子だとばかり思っていたが……。
 
「母親しかいない片親だが、その女がまたヒドい淫売でな。とっかえひっかえ男を連れ込んでくるし、その男とよろしくやってるあいだは、雨が降ろうが雪が降ろうが、あの娘は外に放り出されるらしい」
 
 そういやぁ、あの日も、吐く息が白くなるように寒い夜に、薄いセーター一枚しか着ちゃいなかった……。
 
「俺たちも何とかしてやりたいとは思うが、あの娘も妙に大人びてるというか、街の人間に懐きやしねぇ。不思議とあんたとは馬が合うようじゃないか。あの娘の笑った顔なんて初めて見たよ。じいさん、精々、仲良くしてやってくれよな」
 
 主人はそれだけ言うと、後ろの棚から缶ビールを数本取り、紙袋に詰めてカウンターに置くと、無造作に老人の方に押しやった。
 
「こりゃ、俺のおごりだ」
 
 
    ※ ※ ※
 
 
 冬の寒さは身体ばかりか心まで凍らせる。
 歳をとればとるほど、春がきても夏がきても、溶けない塊が心の中に居座って、冬がくるたびに大きくなる。
 
 40年前のあの冬の日。
 妻と娘は、クリスマスの買い物に街に出かけた。
 雪の中をお揃いのコートを着て、白い息を吐きながら、あれやこれやクリスマスの夜の他愛ない計画を、楽しげに話していたに違いない。
 酔客を乗せたタクシーがカーブを曲がり切れず、凍った路面に後輪を滑らせ、老人の大切な家族と車とを隔てる、薄っぺらなガードレールを突き破るその瞬間まで……。


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