伊藤美弥の悩み 〜受難〜-9
「……迷惑じゃ、なければ」
「じ、じゃあ明日から、作って来る……から」
その言葉を聞いて友達が龍之介と目を合わせてほくそ笑んだ事に、美弥は気付かなかったのである……。
翌日。
迎えに来た龍之介に、美弥は巾着に入った弁当箱を手渡した。
龍之介は礼を述べ、何やら感動した様子で受け取る。
「あんまり期待しないで。たいした物は入ってないし……あ、おかず一緒だからあんまり人前で開けないでね」
龍之介はきょとんっ、とした顔をした。
「どうして?」
「どうしてって……恥ずかしいじゃない」
「同じおかずの弁当って、付き合いアピールにはもってこいだと思うけど」
美弥は思わず呻く。
「……好きにして」
伊藤美弥と高崎龍之介が付き合い始めた(フリをしている)という噂は、いつの間にやらいろんな所に広がっていた。
いくらフェロモンで誘われてもわざわざ他人の彼女に手を出す趣味のある男はあまりいないらしく、美弥は実に快適な日々を過ごしている。
「ああ、平和って素敵……」
縁側でお茶でも啜りつつひなたぼっこしている時にでも言うと実にしっくりくる台詞に、龍之介は吹き出した。
「あら、失礼ね」
「ごめん」
龍之介はすぐに謝ってきたが、唇がひくひくと震えている。
「……怒るわよ」
「だかっ……ら……ごめんってば」
喉の奥でくつくつと笑いながら、龍之介は再度謝った。
日曜日の今日は美弥の要請で、ウインドウショッピングを楽しんでいる。
今は龍之介が馴染みというカフェに入り、注文した食事が来るのを待っているところだった。
「だって、こんな場所にいるのに声もかけられないのよ?ここ最近の騒がしさを考えると、奇跡みたい」
「まあ、ね」
笑いを引っ込めて、龍之介は頷く。
――薬を無理矢理吸収させられてから、美弥は告白されたりナンパされたりいきなり押し倒されたりと、忙しい毎日を送っていた。
それらことごとくから美弥を守ってくれたのは、龍之介である。
「ほんと、龍之介には足を向けて寝れないね」
「そう?」
「はいお待たせ!ゆっくりしてってくれよ!」
ギャルソン姿をばっちり決めた青年が、そう言って二人の前にランチを置いた。
美弥はカルボナーラ、龍之介はペスカトーレをメインにしたランチプレートを頼んでいる。
「何しろ龍之介が彼女連れて来てくれたんだからな!」
「長野さん!」
「照れるな照れるな。盛りをサービスしといたから、たっぷり食えよ!」
青年が行ってしまうと、龍之介は苦笑いをした。
「あの人はここのオーナーで、兄の親友なんだ。顧客と直に触れ合いたいからって、ギャルソンの格好してるけど」
パスタをフォークで巻きながら、美弥は驚く。
「へえ……龍之介、お兄さんいるんだ」
「あ、話してなかったっけ?兄貴はここの近所の店で、パティシエやってるんだ」
「この近所でパティシエ……それってもしかして、ラ・フォンテーヌ?」
ずばり言い当てられて、龍之介は驚いた。
「当たり。兄貴は、ラ・フォンテーヌの雇われパティシエだよ」
「あ、それで龍之介は甘いの嫌いじゃないんだ」
これまたずばりと言い当てられて、龍之介は目を白黒させる。
「どうして分かったの?」
「半分以上は当て推量。ほら、保健室に連れてって貰った時とか、その後色々相談した時とか。割と甘いの飲んでたから」
「あ、なるほど……」
納得する龍之介。
「やっぱりお兄さんから新製品の試食とか貰うの?」
「まあね。試食モニターしてるんだ」
「へええ……あ、それじゃあさ……」
――結局二人は、大盛り上がりで昼ご飯を終えた。
そのままこの日が終われば文句はなかったのだが……神様は美弥に対し、大きな転換点を用意していた。
しかも、二つ。