僕とお姉様〜第一歩〜-2
「とにかく、目が覚めたなら帰って下さいよ」
「拾ってくれたんじゃないの?」
「あのまま寝たら危ないと思っただけで、拾ったつもりはありません」
「…拾ってよ」
「やです」
「だって行くとこないんだもん」
「ないわけないでしょ」
僕の冷たい対応にお姉様の図々しい態度は一変、急にしゅんとして座椅子の背もたれ越しにすがるような目でこちらを見た。
「今まで社員寮に住んでたけど会社クビになってすぐに出なきゃいけないの。実家には帰れない事情があるし…」
「…」
関わった事のない“綺麗なお姉さん”という人種からの未経験な“上目遣い攻撃”に不覚にも心がゴトリと音を立てた。
いかんいかん!冷静になれ、山田強!
「無理です。犬や猫じゃあるまいし」
「人をここまでその気にさせておいて?」
「勝手にその気にならないで下さい。大体僕はこの家の世帯主でも何でもないんですから、住みたければ父さんに直接言って下さいよ」
よし、言った。
常識で考えたらどこの誰かも知らない赤の他人をあっさり居候なんかにするわけないだろう。この人もまさか本気なわけ…
「世帯主は勝手に若い嫁をもらったのにね」
「…っ」
「これから毎日山田は実の父親と愛しい幼なじみの新婚生活を寂しく眺めながら疎外感を感じて生きていくんだ…。可哀想」
ため息混じりに呟きながらお姉様は立ち上がり僕に近づく。
「3人でこの先何年も一緒に暮らせるの?」
「…」
これは僕の弱さをくすぐる悪魔の囁きだ。
やじろべえ並みに右へ左へ傾く心を真後ろに倒したのはその後の一言。
「あたしが入れば甘〜い雰囲気もぶち壊せると思わない?」
…神様、僕は駄目な人間です。
ここまで育ててくれた父さんやずっと守ると誓ったひばりちゃんの幸せより、得体の知れない他人を巻き込んだ自分の生活を選んでしまいました。
枯れ落ちる椿の花の如くガクンと大きく頷く。
こんな事を父さんに話して簡単に納得してもらえるわけがない。分かってんだよ、非常識な事だって。だけど今の僕にとってこの人の存在と提案は唯一の助け舟なんだ。
だから直後に見えたお姉様の小さなガッツポーズには敢えて何も言わなかった。
「そうと決まれば!山田、行くよ」
「…は?」
有無を言わさず僕は自転車に乗せられた。後輪のステップにお姉様が立って指示を出す。
「このまま真っ直ぐで、コンビニが見えたら右に曲がってね」
「…」
無言で従った。
何て言うか、勝手すぎて自由すぎて何も言えない。
だって僕はこの人の名前すら知らない。年齢、出身地、その他諸々聞きたい事は山ほどあるのに。
ていうか、これから一緒に暮らしたいって言うなら普通自己紹介くらいするだろ。なのに自分の事は一切話さない。会社クビになっただとか平成生まれの男に振られただとか、実際どこまで本当なんだか…
「着いたよ、ここ」
無言でペダルを漕ぎ続けること30分。着いたのは隣市とのほぼ境にあるマンスリータイプのアパート。
「こっち」
手招きされるまま進んで一番奥の部屋の前で足を止めた。
「今週中に荷物出さなきゃいけなくてさ」
説明か独り言かは分からないけど、めんどくさそうに呟きながらドアを開けた。
一人暮らしのお姉さんの部屋ってのはもっとワクワクドキドキするもんだと思ってたけど、入ってみるとそうでもない。服は脱ぎ捨ててあるしテーブルには食器が置き去り。間違いなく僕の部屋の方が綺麗だ。
大きな旅行カバンに着替えや化粧品を無造作に詰め込んでいく作業に手伝いはいらなさそう。だからって何もせずに突っ立っているのも気が引ける。とりあえず捨てても良さそうなゴミを拾ったり食器を片付けたりと雑用を始めた。
「これ、家具とかどうするんですか?」
「置いてく。あたしのじゃないし」
じゃあ、誰の?
そう言えば…
改めて部屋をぐるりと見回すとハンガーにかけてあるのは男物のジャケットだし食器は2人分、灰皿は吸い殻でいっぱいだけど昨日おぶった時この人からタバコの匂いはしなかった。
ここ、もしかして…