恋人達の悩み8 〜文化祭〜-2
『!!』
三人の見ている前で体をかがめ、美弥にキスしたのだ。
「あら、まぁ……」
それ以上に過激な場面を見た事のある彩子はたいして照れた様子もなく、口元に手を当てる。
「ううぅ……!」
叫び出したいのを堪えているようで、直惟は唸り声を上げた。
「……」
何とも言えない微妙な表情で、貴之は美弥と龍之介を交互に眺める。
「美弥。ちょっとこっちに来て」
龍之介に導かれるまま、美弥は外へ逆戻りする羽目になった。
「あ〜……苦しかった」
ネクタイを緩めながら、龍之介が呟く。
その呟きを聞いた美弥は、改めて龍之介の姿を見た。
形の整ったダブルのスーツ。
糊の効いたワイシャツに、ネクタイ。
足元は、黒の革靴。
「……」
我が恋人ながら、ほれぼれする程かっこいい。
だが見とれていては事情が分からないため、美弥は口を開ける。
「一体うちで、何やってたのよ?」
その問いに、龍之介はにこりと微笑んだ。
「ご挨拶という名目の、説得」
「…………………………………………はいっ?」
たっぷり十秒は沈黙した後、美弥は珍妙な声を出す。
「お宅のお嬢さんと交際している高崎龍之介とはこういう男ですって、主におとうさんを説得したの」
この場合、おとうさんは『お父さん』とすべきか『お義父さん』とすべきなのか。
思考回路の八十パーセントくらいが、そんな事を考えてしまった。
「で、彩子さんが味方になってくれたから……おとうさんを説得できた」
一体、どんな事を話し合ったのだろう。
「ま、納得はしかねてるみたいだけどね。初対面であれじゃあ、仕方ないけど」
そう言って肩をすくめる龍之介を見て、やっぱり凄いと美弥は思った。
娘を盗られるという感情的反発のせいか、龍之介の関与する事柄は厳しい反対をしてきた父を、不完全ながらもこうして説得してしまったのである。
まあ……美弥当人がそれに関しては全く聞く耳を持たず、夏休みの海水浴には輝里と瀬里奈が口裏合わせをしていたりするのだが。
とりあえず直惟は、女の子三人で一泊付き海水浴をしてきたと信じている。
そして彩子と貴之は、そんな事を頭から信じるような間抜けな真似はしていない、という訳だ。
「もう一つ」
龍之介が改まったスーツ姿で伊藤家まで来た目標は分かったものの、目的がまだ分からない。
「私に、何を隠してるの?」
問われた龍之介は、肩をすくめてみせる。
今までの付き合いでは必要な事はオープンにしてきたのに、何故わざわざ自分一人を蚊帳の外に置いてこそこそと説得に来なければならなかったのか。
「ちょっと、ね……美弥には言いづらいから、いないとこでご家族へ知らせときたくて」
恋人には言えないのにその家族には言える事とは一体何なのかと思い、美弥は眉をしかめる。
「で、今日はドレスの仮縫いをしに宇月さん家に行く日だっていうのは知ってたから、今日を選んだ訳」
頭に血が昇ったり他の事に気をとられていたり勢いが余って口を滑らせたりしない限り、普段は冷静な龍之介が秘密にしておきたい事を喋るという可能性はほぼないため、美弥は追求を諦める事にした。
ま、そのうち全貌が明らかになるだろう。
いくら何でも、一生涯秘密にしておきたい事ではないだろうから。
もしもそんな重大な秘密なら、そもそも美弥へ自分の行動を説明すらしないだろう。
「それじゃ、今日の所は退散するよ」
人目がない事をちゃんと確認してから再び美弥の唇をご馳走になり、龍之介は帰っていった。
「???」
狐につままれたようないまいち納得できない気分のまま、美弥はもう一度自宅の玄関をくぐる。
そこではやはり、両親と兄が待っていた。
彩子はにやにや笑い、美弥の頭を撫でた。
「愛されてるわね、あなた」
貴之は、肩をすくめてみせる。
「誠実そうな男だな」
美弥は直惟を見た。
「………………………………仕方ないな」
いかにも文句と不満を言いたそうではあったが、直惟は頷く。
「ああいう周囲から慕われるタイプは、競争率が高い。見た目も悪くないし、お前を預けてもいいだろう」
……本当に、認めていた。
思わず美弥は、唇を綻ばせる。
「ありがとう、お父さん……」