刃に心《第6話・愉快に誘拐》-2
「霞がお世話になってます、月路先輩」
軽く腰を曲げて疾風が挨拶した。
「いえいえ」
朧も柔らかな物腰で対応。艶のある髪がさらりと揺れた。
「で、用と言うのは?」
「これなんですけど…」
朧は数十枚の紙の束を取り出した。
「私の不手際で疾風さんのクラスの委員長さんにだけ渡すのを忘れてしまいまして…」
疾風は紙の束を受け取った。白地に『演劇部公演のお知らせ』という文字と可愛らしい絵がカラフルな色で踊っている。
「霞さんから疾風さんと委員長さんは親友だと聞いたものですから、ご迷惑だとは思いますがそれを届けてもらえませんか?」
「いいですよ」
「ありがとうございます。良かった、疾風さんがお優しい方で♪」
朧は再び微笑んだ。大半の男はこの笑みで簡単に陥落するであろう。
「そんなお優しい疾風さんとなら、デートしても構いませんよ♪」
今度はちょっと悪戯な笑み。この笑みで一体何人の愚か者が狂うのだろう?
「お気持ちだけで十分です…」
冗談だと分かっている疾風は苦笑いを浮かべた。ついでに野郎共の怒りなんて買いたくもない。
「それじゃあ失礼します。練習頑張って下さい」
疾風は演劇部を後にした。階段を降り、踊り場にいるはずの楓と一緒に帰ろうとしたが、そこに楓の姿は無い。
「先に帰ったのかな…」
辺りを見回して、ポツリと一言。
あらかじめ、先に帰っててもいいと言っておいたので、多分そうであろうと思い、疾風は靴箱で靴を換えて学校を出た。
疾風は気付かなかった。
楓の靴が未だ靴箱の中に残っていることを…
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ただいま」
途中で武慶の家に寄り、演劇部のプリントを渡して帰宅。
「楓…帰ってないのか…」
玄関に楓の靴はない。
携帯を取り出して、最近買ったばかりの楓の携帯に電話をかけた。しかし、聞こえてきたのは楓の声ではなく、携帯会社のガイダンス。電源が入っていない、もしくは電波の届かないところにいるらしい。
仕方なく電話を切った。
時刻は18時を回っている。
「遅いな…」
漠然とした不安が疾風の胸に広がった。
夕焼けの境界線はぼんやりと滲んでいる。
東の空からは夜が迫ってきていた。
ヴゥゥゥゥ…と手の中で携帯が唸り声を上げた。
画面には『霞』と表示されている。