闇よ美しく舞へ、演目別舞台 『座敷童子』-3
声は出なかった。
僕は、僕自身の心臓の音と、乱れた呼吸の音だけを聞きながら、だまって目前の人影を見詰めた。
人影と言うのは、どうやら小さな女の子の様である。おかっぱ頭の黒髪が畳に着くぐらい長く伸び、白い顔に浮かぶ大きな黒い眼は怪しい光すら放ち、唇だけが血の様に真っ赤である。黒地に赤い花柄模様の和服を着て、足は素足のまま。小さな紅葉(もみじ)の様な手を顔に押し当てて、彼女もまた、恥ずかしそうに僕の顔を見詰めていた。
「……これが座敷童子なのだろうか」
ぼくは不とそんな事を思う。
「本当に出やがった」
半ば半信半疑、否、はなから座敷童子など信じていなかった自分である。驚くことは必須。だがそれにもまして、興味も沸いて来る。
僕は早鐘を打つような胸の動悸(どうき)を抑えつつも、座敷童子の観察を続けることに意を決する。
すると彼女は、プイッと横を向くと両手で顔を覆い隠した。
僕は思わず。
「あっ…… ごめん」
と、声にならない言葉で呟く。
理由は解からなかったが、良く見ると、何やら座敷童子であろう女の子は、泣いている様でもある。小さな手をしきりに瞼(まぶた)の上で擦っては、悲しげに首を縦に揺らしていた。
「どうしたの…… 何かあったの」
当然、声にはならない。が、ぼくはそんな事を彼女に問い掛ける。
”だれも…… 遊んでくれない ”
ふとそんな事を座敷童子が言ったような気がした。
「誰もって…… そんな事は無いと思うよ。みんな君に会いたがっているんじゃないのかい。ここに有る物はみんな君へのプレゼントなんだろ」
ぼくは頭の中でそう唱えた。
そんな僕の思いと言うか、声にならない声が聞こえるのか、座敷童子はしきりに首を横に振る。長い黒髪もその度に右に左にと、揺れ動いていた。
”誰も構(かま)ってはくれない。……寂しい ”
今度もそう聞こえる。
「みんな君の姿が見えないんだよ。そうだ、おじさんで良かったら一緒に遊ばないか」
”…………遊んでくれる ”
「ああっ、勿論だよ。……今……身体が動かないけど、まあぁ、とにかく遊んであげるよ」
”…………本当に ”
「本当だよ。さあ何して遊ぶ」
僕は本気でそんな事を思っていた。するとその瞬間。
”嘘じゃないでしょうね!!”
座敷童子はそう言いながら、僕の身体の上へと登ってくると、その顔を僕の顔へと近づけ、ニヤリッと笑ったのだった。
僕は余りの恐ろしさに飛び起きると、今にも口から飛び出しそうな心臓を押さえて、息を切らせていた。
「大丈夫ですか龍神さん!」
騒ぎに気づいた新米編集者の望月。彼はそんなわたしの肩を支えて、叫んでいた。どうやらその声を聞きつけてか、別室で寝ていたスタッフ達も、何事かと駆けつて来ると、皆黙って僕の顔を見詰めていた。
僕は青い顔で、全身をガタガタと震わせながら、
「悪いが俺…… 先に帰るわっ!」
そう言うと。急ぎ自分の荷物を持ち、座敷童子の部屋を出ていたのだった。
そんな僕の後を追いかけながら望月が言う。
「龍神さん! ちょっと待ってくださいよ龍神さん! いったい何があったんですかっ!!」
「出たんだよ!」
「出たって…… まさか座敷童子ですか! だったら凄いじゃないですか! もっとちゃんと取材しましょうよっ!!」
「冗談じゃない!」
僕は思わず怒鳴っていた。
それを聞いて望月もビビったらしい、驚きの表情で身体を硬直させると、それでも。
「そんなぁ。いったい何を見たんですか! 本当に座敷童子だったんですか!? 本当は何があったんですか!!」
そう言って僕の腕をしきりに引っ張っていた。
だが僕は押し黙って突っ立ったまま、その後の言葉が出てこなかった。
言えない。とても怖くて言えない。
まさか座敷童子…… その顔が僕の妻の物だったなどとは…… 言えっこない。
僕は急ぎ朝一で東京へと向う列車に飛び乗ると、妻の待つ我が家へと向かった。
彼女との約束を守るために。