『好き』の言の葉(ことのは)争奪戦!-2
2 「あぁ〜っもうこんな時間か。風呂入らなくちゃ」
同級生達が引き揚げてしまったその部屋では、一定のリズムで時を刻む秒針と、俺の脳みそだけがフル回転で何時間も働いていた。
立ち上がり、部屋を後にすると、薄暗い廊下を『非常口』の緑色の灯だけを頼りに、浴場に向かって歩き出した。
一人で歩く廊下というのは、あんまり気持ちのいいものではない。
こんな時間でも、浴室だけは誰かいるものだと思いながら、パタパタというスリッパの音を響かせて歩き、足早に脱衣場に入る。
しかし、期待とは裏腹に今日は、俺一人…。
今更引き返すのもかっこ悪いし…と、急いで服を脱ぎ捨てて、白い湯気の中へと飛び込む。
薄暗い浴室は、異様に大きく、静かに感じられた。
どっぷりとお湯に身体を沈めると、冷えた身体に染み渡るお湯が、全身の力をじんわりと融解していく。
俺は、浴槽の淵に後頭部をくっ付け、寝そべり、目を閉じた。
チャプチャプとお湯が揺れて、タイルにぶつかる音は、海岸の砂浜に打ち寄せる波の音に似ていて、とても心地く、しだいに恐怖感も薄れ、強烈なレム睡眠が身体を襲う。
その時、ふと何気なく目を開けた俺の心臓は驚きのあまり本当に一回止まった。
「!!」
目の前の物体が俺を見下ろしてニヤリと笑った。
「ま、雅紀!」
叫んだ俺の身体は、雅紀の長い腕に身体を引き寄せられ、あっさりと胸の中に収められてしまう。
「ちょ、ちょっと雅紀、何やってんだ!暑苦しいんだよ!!」
雅紀の腕と胸の間で強く圧縮され、小さな身体が窒息すると悲鳴を上げ軋む。
「し、しぬ…」
俺はコイツに殺される…マジでそう思った。しかし、時既に遅し……
強く抱き寄せられたまま、顎をすくい上げられ、辛うじて呼吸をしていた口が、雅紀の唇に塞がれてしまった。
「!!」
目の前の現実に、呼吸さえ忘れ、青くなって呆然と立ち尽くした。
無抵抗な口腔内にスルリと入り込んで来た雅紀の舌先が、歯の裏側と上顎の間を何度も行ったり来たりする。そのくすぐるような刺激が、尾てい骨に直下したかと思うと、ゾワゾワと背骨を通って、全身に飛沫伝染する。
「うんっ…っ」
塞がれた俺の口元から零れた甘い声に、一番驚いたのは俺自身だった。
我に返って、力いっぱい雅紀の身体を突っぱね、慌ててお湯の中に首まで浸かって裸体を隠す。
「な、な、なんの真似だ、これは!」
これが、久々に会話する人間に対してすることか!
突拍子も無い挨拶をした雅紀を真っ赤になって睨みつけた俺は、今度は目で殺される。
雅紀の目ぢから……一撃で撃沈してしまう俺…
「俺、おまえにそんな目で睨まれるようなことか?」
「した」
『した』…これが、雅紀がここに来て最初に発した言葉だった。
「何だよ!俺が何したって言うんだよ!」
「何で真鍋が知っていて、俺が知らないんだよ」
その言葉が『何の事だよ』と言い返そうとした俺の言葉を封鎖する。
首を傾げるばかりの俺に、ふわりと覆いかぶさってきた雅紀。その見かけよりも筋肉質な身体と浴槽の淵の間に押さえ込まれた俺は、雅紀を唖然と見上げる事しか出来ない。
「なんなんだよ!結婚って…そんな話し、俺…何にも聞いてない」
振り絞るような声が耳に飛び込む。
白い湯気の間から覗く雅紀の寂しそうな顔…怒りを抑えて震えている腕…茶色い髪の毛から頬に伝う雫が、閉ざされた瞼から除く長いまつ毛で、一度止まってキラリと光る
俺は、そんな綺麗な光景を目の当たりにして、トクトクと心臓が高鳴るのを感じた…と同時に、堪えていた笑いが一気に飛び出す。
いきなり、ケラケラケラとお腹を抱えて笑う俺を、唖然と見下ろした雅紀は、すぐに不機嫌な顔に戻って、『殺すぞ』と囁き俺の首に手を回す。
ゴメンゴメン…と言いながら、雅紀の腕の間で体制を立て直した。
「おまえ、何勘違いしてんだよ。結婚するのは俺じゃなくて姉貴。相手が高校卒業したての18歳。できちゃったから、仕方なく結婚するんだよ。俺じゃないことくらい考えたら、分かるだろう?」
見上げた雅紀の愕然とした顔に、俺はまた、堪えていた笑いを噴出させた。
全身を真っ赤に染めて慌てて俺の上から飛び退いた雅紀が、尚も笑いが止まらない俺の横で、顔だけ水面にポッカリ浮かべ、紅潮した顔を洗面器で覆う仕草が、なんだか可愛くて仕方が無かった。