投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

In the moment −hirotaka−
【純愛 恋愛小説】

In the moment −hirotaka−の最初へ In the moment −hirotaka− 0 In the moment −hirotaka− 2 In the moment −hirotaka−の最後へ

In the moment −hirotaka−-1

一瞬、自分のおかれた状況を理解出来なかった。何もない、磨き抜かれたキッチンとそのドアの先にある無人の八畳間。頭上のロフトをみあげ、うなだれるように足元へ視線を落とす。外を走る車のエンジン音と自分の心音を聞きながら、水っぽいもので歪んだ視界を、僕はゆっくり闇に返してやった。

「それはきっと男を作ったんだ」
白い息を吐き出しながら、裕也はあっさり言った。あの失恋からすでに四年が過ぎたものの、そう言われるとやっぱり胸が痛くなる。 「そんなこと分からないだろ」
「分かるって。普通だろ。いなくなったその女、えっと」
「未琴」
「ああ、そう。未琴」
「呼び捨てにすんなよ」
「はいはい未琴ちゃん。とにかくそいつは、お前よりも好きな奴を作ったんだ。だからお前には旅行に行くなんて嘘をついて消えちまった。他に考えられることなんてないだろ。例えあったとしても、恋人だった弘貴に何も言わず出て行くなんて、その時点でちょっとまともじゃないと思うぞ、俺は」
水分のたっぷり含んだ雪を踏み付ける二人分の足音を聞きながら、僕は、でも、と繰り返した。口を開く度に入ってくる冷気に、喉元がおそろしく冷えていた。
「でもじゃないだろ」
ぴしゃりと裕也に遮られ、僕は口をつぐむ。 「どちらにせよ、その恋は終わったんだ。理由が何であれ、結果は結果だろ。いつまでそんなもんひきづってるんだよ」
「それは・・・」
三神未琴が僕の前から忽然と姿を消したのが、今から四年前、十九の頃だった。理由も何も僕には伝えず、四年前の、ある秋の肌寒い日に彼女はどこかへ消えてしまった。空っぽになった部屋に呆然と立ち尽くし、足元にぽっかり空いたマンホールみたいな穴の中へどこまでも落ちて行く、あの絶望感は忘れられそうにない。
三つも上だった彼女には、僕は子供過ぎたのかもしれない。ひょっとすると僕が気が付かないだけで、未琴は僕をいつも疎ましく思い、そして耐え切れず逃げてしまったのかもしれない。そう考えると、やりきれない。
裕也の言うとおりだ、と僕は思う。
あれから、四年も経ったのだ。とっくに忘れていい頃だし、忘れなければならない。ひきずり続ければ、僕はいつまでも前へは進めない。
「おい。弘貴」
裕也は手にしていた住宅地図のコピーに目を落として、言った。
「ここ一列、俺らの区域だわ」
道を挟んで向かい合う民家へ目を向ける。
まだ朝も早く、しかも休日だからだろう。ほとんどの玄関に新しい足跡はついていないように見える。
「俺は右一列をまわるから、弘貴は左一列やってくれよ」
「分かった」
さっそく二手に別れ、僕は最初の家へ歩み寄った。右手にぶら下がった紙袋には、これからまわる件数とほとんど同じ分だけのパンフレットが入っている。市会議員が県政への権利を勝ち取るための、大切な武器だ。中身は、その政治家の生い立ちや政治に対する意欲、約束なんかが書き連ねてある。なんでも、裕也の伯父にあたる人が選挙に立つらしく、僕らはその講演会活動の手伝いをバイトとして行っていた。無職の裕也は楽かもしれないが、仕事の休みを削っている僕としては、ちょっときついものがある。それでも文句もなくこうして足を使って講演会活動に参加しているのは、裕也との友情というより、たんにバイト代がよかったという理由からだった。
昨夜の降雪のせいで雪は深く、すでに足の先が冷えていた。革靴なんかじゃなく、もっと頑丈な、ブーツでも履いてくれば良かった。
静かな家の門をくぐり、庭を横切る。
呼び鈴を鳴らし、僕はスーツについた雪を払い落とす。数秒の間があった。扉の向こうに気配を感じる。そう思って僕がノブに手を回し、ドアを引きあけた、その時だった。何かが向こう側から体当たりしてきて、驚いた僕は押されるまま後退した。
そしてそれが、巨大な犬の仕業だと分かったのは、すでにひざに噛み付かれた後だった。


In the moment −hirotaka−の最初へ In the moment −hirotaka− 0 In the moment −hirotaka− 2 In the moment −hirotaka−の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前