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In the moment −hirotaka−
【純愛 恋愛小説】

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In the moment −hirotaka−-2

思わず声を上げ、犬の顔に両手を当てた。
紙袋が雪の上に落ちて、中身が散らばった。 「ジョン」
家の中から、女性の叫ぶ声がした。
「ジョン駄目、離れなさい」
だけど僕が弾かれたように顔を上げたのは、その声を知っていたからだった。凜とした、アルトの声。視線が結ばれると、彼女の方でも僕が誰であるか気が付いたようだった。犬はおとなしく僕から離れて、甘えた鳴き声を引きずりながら彼女の元へと寄っていく。
未琴の口元が、小さく僕の名前を呟いていた。

「本当にごめんね」
救急箱から消毒液を取り出した未琴は、今にも泣き出しそうな顔で言った。犬にやられた傷はたいしたことはなく、赤くミミズ脹れになっただけだった。
「お前の実家ってここだったんだな」
「うん。そう。それよりジョンったら、いつもならこんなことしないのに。ごめんね」 「いいよ。向こうもきっとじゃれてるつもりだったんだろ」
「うん。あ、スーツも汚しちゃったね。ほつれているし、新しいの買うから」
「いいよ、そんなの」
「でも」
「いいってば」
一瞬、息を飲むように顔をこわばらせて、未琴はうつむいた。沈黙の中で彼女の手だけが動く。僕が怒っている、とでも思っただろうか。だけどそれを否定するのもおかしな気がして、僕は黙って部屋の隅々へ視線を巡らせた。違うんだ、と心の中で訴える。確かに、自分を捨てた彼女を恨んだりもした。だけど今、胸のうちにある感情は怒りよりも動揺なのだった。糸が切れたように、ぷつりと音信不通となった元恋人と再会したのだ。どんなに探しても見つからなかった彼女が、僕の住む街からそう離れていない場所にいた。四年間忘れられなかった彼女が、目の前にいる。 そのことに、ひどく動揺していた。
部屋の中は、とても暖かかった。
ストーブがあるからとか床下暖房だからとか、そんな理由ではない。なんとなく雰囲気的なものだ。まるで宙に真綿がふわふわと浮かんでいるような、そんな柔らかい空気がそこにはあった。ひょっとしたらそれは、未琴がそこにいるせいからかもしれなかった。
僕は、ゆっくりと視線をあげていく。家具というのにふさわしい光沢のある本棚。
横一列に並んだ写真立て。オレンジとレッドを主としたネイティブ調のタペストリー。八角形の壁掛け時計。・・・時計。その時間を見て、僕は慌てて立ち上がった。
「どうしたの?」
驚いた未琴も一緒に腰をあげる。
「友達と一緒なんだ。きっと俺を捜してる」 すっかり裕也の事を忘れていた。奴のことだ。きっと僕を捜して、そこらへんをうろうろしているに違いない。
紙袋を持ち、僕は彼女を見た。あの頃よりも少し髪は伸び、輪郭も少しだけどほっそりしている、だけど僕の愛していた未琴に変わりはなかった。
「なあ」
と僕は言った。あの日から、僕らが離れ離れになったあの日から、ずっと聞けたくても聞けなかった疑問。
「お前、なんで」
「パパ?」
不意とついて聞こえた声に、僕は前へつんのめるように言葉を飲み込んだ。振り返ると、ドアの前には小さな女の子が、おずおずと真ん丸な瞳を僕に向けていた。
「未貴」
何がなんだか分からず、未琴を見てから、向き直る。心臓の音が荒くなりはじめた。三歳が四歳くらいだろうか。未貴と呼ばれたその子は、僕を観察するように見つめた後、晴れ渡る空のような笑顔を作って僕の足元まで走り寄った。パパ、と彼女は溌剌とした叫んだ。ママ、パパだよね。そう言った。
ママ。僕の足にくっつきながら、その女の子は言った。未琴に瞳を向けながら。
全身が強く脈を打ち、僕は奥歯を噛み締めた。そうでもしなければ、とても正気を保っていられそうになかった。
「違うのよ、未貴」
泡を食ったように、未琴が女の子に手を伸ばす。だけど女の子は、僕をパパだと言ってきかなかった。パパだもん。ミキ、写真持ってるもん。ママと一緒にいたパパだもん。


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