①－猫に好かれる男－-4
今日、つい今しがた行われたコンサートは一曲も引けず大失敗に終わり、振替日は未定のまま俺の人生の幕は閉じた。
「変わらなくてもいいじゃない。そんな辛そうな貴方を見ていたくないのよ」
変わらなくていい？何を言ってるんだ。こんなにも惨めな俺が側にいるせいで、君は言われなくてもいい痛みを受けた。
－パチン－
「変われて満足しましたか？」
満足…。仕事もうまくいき、彼女への悪口が減るのなら満足だ。
「でも、仕事は今しがた失敗しましたね」
痛いところをついてくる。でも彼女への批判は少なからず減ったはずだ。
「その彼女に言われた言葉は？」
『嫌い』。彼女を守ろうと思えば思うほど、どんどん嫌われる俺がいる。
「彼女は貴方のどこが嫌だったんでしょうね」
今の俺。
でも、君を守るには仕方がないんだ。
「守っているのは本当に彼女ですか？」
何が言いいたいんだ？
「今までしてきたことは、みんな彼女のためです」
頭に乗せたままのタオルを膝に置いた。滴が頬を伝い床を濡らす。
「彼女に嫌われてまで、貴方は変わらなければならないのですか？何のために変わろうとしているのですか？」
彼女を守るため。
－パチン－
花瓶には合わない量の花がいけられた。ただ、挿しただけの飾りもの。
「彼女はそんな貴方を嫌いだと言った」
そう。
「俺も嫌いです」
嫌われたらどうしようもない。
「彼女は周りに流される貴方が嫌なのでは？本来の姿じゃないから」
流される。そうだ。流されていた。でも、彼女を守りたい。本来の俺の姿？弱々しいつまらない男さ。そんな人間のどこがいい？
「貴方には前の俺なんてわかりませんよ。あんな自分…」
「ええ。わかりませんよ」
－パチン－
わからないのに。そこまで口だしされて、俺にも我慢の限界がある。
「なら、どうしてそこまで昔の俺を知ったふうに…」
一本ずつ位置を確かめながら確実に形作っていく。刺すような真剣な眼差しに、俺は何も言えなくなってしまった。
「あら、貴方は今の自分が好きなのですか？私には、窮屈で丸まっているように見えますが」
今の俺が俺は好きか？
嫌いに決まっている。
「……」
何か突っ掛かるものがある。
「彼女は影で言われ続ける言葉を気にしていましたか？今の貴方を見ているような悲しい表情をしていましたか？」
彼女は言った。
今の俺が嫌いだと。
今まで見たことのないような悲しい瞳を潤ませて。そんな君を、俺は今まで一度でも見たことないよ。俺は君を守れていなかったんだね。
「じゃあ、俺は今まで何を…？」
－パチン－
ハサミの音がより一層、静かな部屋に響き渡る。
「貴方は貴方自信を守っていたのでしょう」
嫌な自分に飽き飽きし、殻に閉じこもって一人もがき苦しんでいただけ。変わったと思えた自分は君にも嫌われ、自分でさえも好きになれずにいた
。俺は空回りをしていたのか。
「前の貴方はどんな人だったのでしょう」
どんな…。
「音楽しかなかった」
ふふっ、と彼女は微笑んだ。
「だからこそ、彼女は貴方が好きだったのでは？。己の溢れ出す感情が音となり、彼女の心を掴んだんでしょう？」
今の俺は他人に振り回され、支配された音しか出せなくなっている。
なのに彼女は側にいてくれた。こんな俺を見放さずにいてくれた。
「よしっ、できました。いかがでしょうか」
首を花瓶に向けた途端、体が軽くなった気がした。似つかわしいとまで思っていた花瓶が、いけられた花によって店の雰囲気を一層和みの空間に変えた。素人にでもわかる。この花で、この花瓶で、このいけ方で、この店だから…。みんな合わせて一つなんだと。みんな…合わせて…。