@−猫に好かれる男−-3
「変われましたか?」
−パチン−
先程の花束をカウンターにぎっしりと並べ、背の高さをハサミで整える。あの花弁の細さと並び具合、暖色系の多い葉のついていない花。ガーベラか。
「変われたはずですなんです」
この、後ろ向きで弱い心が嫌いだった。周りに目を向けず、彼女を見る世の中の視線に気がつけなかった自分が情けない。僕は…いや、俺は変わるんだ。
まずは言動に気を配った。彼女は何も言わなかった。気付かないわけがなかった。でも、黙っていた。ただ、見つめられていた。
曲のモチベーションを変えてみた。自然を意識した滑らかなメロディーから、今の現代に人気なポップなミュージックへ。
「それで?」
花瓶に彩られていく花の茎は柔らかく、外にしな垂れてしまう。
「上々でしたよ。若い子も少しづつですかリサイタルに足を運んでくれて」
彼女はただ見ているだけだった。
そして季節が代わり、澄んだ冬の景色が訪れた。
「クリスマスコンサートには何を?」
彼女が珍しく、演奏する曲を聞いていた。
「いつもの曲さ。んで、クリスマスっぽくジングルベルのアレンジバージョンかな」
鍵盤を叩き、楽譜に音譜を書き込んでいく。
「……そう」
張りのない返事。
ピタッと腕が止まる。頭が真っ白になり、音譜どころかメロディーまでもが消えてしまった。
「…なにか言いたそうだな」
彼女はドアのノブに手を乗せ、背中を見せたままつぶやいた。
「貴方、いつか潰れるわよ」
「……っ」
衝撃が走る。言葉はでなかった。体から何かが抜けていく。今まで共にいた大事な何かが。
彼女はそのまま部屋から立ち去り、俺の唯一の相棒である音楽まで連れていってしまった。
それからは何も手につけられず、去っていったメロディーを掴めずにいた。しかし、コンサートの日取りは変えられない。当たり散らすかのように、今まで作り上げてきた曲を何度も何度も練習した。弾けば弾くほどそれがつまらないものに思えて堪らない。こんなものを人に聞かせていいのか。いままで作り続けていたものは、積み上げたものは…俺はなんだったのか。不安と絶望を消し去りたくて、無我夢中に鍵盤を叩き散らした。
遂にその日が来た。
スーツに蝶ネクタイをしめ、そでのボタンをとめる。
不安で仕方がないが、今更やめることなんて出来ない。
「今の貴方は嫌いよ、私。周りに縛られて楽しい?」
何のことだかさっぱりわからない。俺は縛られている?何に?
でも以外だった。嫌いと言われても、悲しみや寂しさを感じることはなかったから。
「なら、どうして側にいるの?」
どうして問うたのか。今なら怖くて聞けないだろう。
−パチン−
「どうして今は聞けないのです?」
この人はちゃんと話を聞いているのだろうか。
「嫌われたくないからですよ」
−パチン−
百合の葉に似た、細長く固い葉がガーベラの隙間を埋めていく。
「言われたときはそういった感情は起きなかったんですよね」
確かに…そうだ。
そして、胸がモヤモヤしたままの演奏は最悪なものとなった。
舞台に立つ。
冷たい鍵盤を指先で確かめる。
あれ…?指が…。
あれだけ毎日かかさず何時間も練習した。
指が勝手に動いていくくらい、飽きるほど。
なのに震えが止まらない。
まるで、ピアノに拒否されている気がした。
何もかも失った。彼女の心も。音楽に対する情熱も。
−パチン−
「本当にそうかしら」
−チリン−
子猫がカウンターに飛び乗り、彼女の愛撫を求めて擦り寄る。