@−猫に好かれる男−-2
しかし見れば見るほど変わった人だ。カントリー少女のような、レースの着いたごわごわの服を身につけている。しかしそれはなんの不快感も不似合いでもなく…。彼女だから調和が取れているのだろう。故にそれがまた疑問である。
「傘もささずにどうかされましたか?」
借りたタオルでガシガシと髪を拭いていると、その言葉で一気に黒い絶望が俺を苛んでいく。頭にあった手はしな垂れ、上げる力さえない。もう、上げなくてもいいかな…。
「彼女に…言われました。今のぼ…俺は…嫌いだと」
愚痴をこぼすかのように、少しづつ言葉を紡ぎ出す。何故語ろうとするのだろうか。思い出したくもないのに。なのに何故か、話さなければならない何かに取り付かれていたんだ。
「数年前の…秋のことです」
僕は音楽学校でピアノを専攻していた。特に目立つこともなかった学生時代、放課後の音楽室でいつものようにこっそりと作曲をしていました。趣味みたいなものですね。その時だけが自由だった。暗い人間だと定義づけられた教室にいるのは、この幸せな時間を独り占めするための糧にすぎない。
「あっれぇ〜?何してるのこんなところで」
扉を躊躇することなく大胆に開け放った彼女は、悪びれることもなく僕に近づいて来た。
慌てて楽譜を隠そうとするが、焦れば焦るほど無残な結果に陥る。
散らばった楽譜を一枚手に取ると、
「ねっ、これ、もしかして自作?凄い!凄いね!音譜を紡ぎ出して音楽にするなんて」
僕は乱暴に楽譜を取り上げるとピアノに向かい合った。
「ね、邪魔しないから聞いてていい?」
赤面の顔を隠すために背くと、了解と勘違いしたのか、僕の死角の席に座り黙ってピアノを聴き続けていた。
帰りは嫌でも一緒になり、普段、誰にも話さないようなことでさえ話せる仲になっていた。
そんな毎日が過ぎ、卒業の頃には作曲自体が公に知れ渡り、そのおかげで小さなリサイタルを開けるまでになった。
「私、あの時が初めてじゃなかったの。ずっと前から扉の前で聞いてたんだ。けど、どうしても卒業前に話してみたくなって。こんなにも美しいメロディーを生み出す人ってどんな人だろうって」
いつも大胆で自分自信に真っすぐな彼女が、耳まで真っ赤に染まらせ僕の前で小さくなっている。
「今日で学校は終わりだけど…私はあなたの側にいて支えになってあげたい」
どれだけ救われてきたか、君は知らないだろ?君の前向きな姿勢、嘘偽りのない言動。僕みたいな軟弱な男には勿体ない。でも、手放すことなんて出来なかった。君が好きだから。君の芯の美しさが愛おしかったから。
カップのお茶を飲み終え、猫を膝から下ろして立ち上がり、カウンターの中に入った。
「そんなんだから、男からも人気があって…」
陶器の花瓶に水を流し込む。
「大変でした?」
ふっ、と息が漏れてしまった。懐かしさに笑えたんだ。
「いえ、それが全然。皆、彼女に嫌われるのがイヤで俺には何もしてきませんでしたよ」
うまくいってたんだ。なにもかも。
「でも、大変なことに気付きました。三ヶ月前、同級生に会いました」
クラス一の我が儘リーダー。力があれば、なんでも思い通りになると考える幼稚な人間。
「まだ続いてるんだってなぁ…あいつも可哀相に。こんな男に落ちたって馬鹿にされてよぉ」
何も言えなかった。そうだ。周りから見たらこんな男なんだ。彼女に不釣り合い。そんなの始めから知ってたさ。でも、それで彼女が馬鹿にされてるなんて。許せなかった。釣り合いの取れていない僕に。女に支えてあげたいといわれた自分に。彼女を守れていない己に。
変わろう。
変わらなくては。
彼女のために。
失わないために。