非情な実験-6
「ファニータに何をしたの? 大人しかったドワモ・オーグはなぜ急に興奮したのです?」
既に観念したのか、逆らう気力を失くしたマレーナは、静かな口調で尋ねた。
「最初に投与した薬品は『排卵誘発剤』です」
「排卵誘発剤?」
「彼女が妊娠しやすくなるよう、胎内の生殖器官、卵巣に働きかけて排卵を促します」
「そんな……酷い」
両手で顔を覆うマレーナ。だが、オズベリヒはあくまでも事務的な声で続ける。
「何を仰います。この実験は人間とドワモ・オーグの間で子を作るためのものです。一度の行為で妊娠するのであれば、その方がいいではありませんか。それとも、彼女に何度もアレの相手をしろとでも?」
マレーナは大きく首を横に振った。
「これは彼女のためを思えばこその処置なのですよ?」
無茶苦茶な理屈だった。ファニータのことを思うのであれば、そもそもこんな実験など行わなければいい。だが、今の王女の権限を何も持たないマレーナには、どうすることも出来ないのも事実だ。せめて侍女に、ファニータに少しでも負担が掛からないようにしてもらうほかなかった。マレーナは黙って頷いた。
「ご理解いただけて幸いです。次に彼女に吹き掛けた液体も、彼女を守るためのものです」
オズベリヒはマレーナが大人しく自分の言葉に聞き入っていることを確認して続ける。
「あれはドワモ・オーグの雌(めす)の身体から抽出した一種のホルモンです。彼らが繁殖期に入ると、発情した雌は雄を引き寄せるための匂いを周囲に振り撒きます。一般にフェロモンと呼ばれる物質です。それを身体に振り掛けることで、あのドワモ・オーグの雄が彼女を同族の雌であると認識すれば、彼女が襲われるようなことはないでしょう」
説明のほとんどは、ファニータを気遣うマレーナの耳には入っていなかった。それを知った上で、彼はさらに続けた。
「先ほどあの雄が興奮したのも、雌の匂いを嗅ぎ取ったからです。危険はありません。それに、もしあの雄が交尾を行わずに彼女を殺そうと襲い掛かるようであれば、あの者たちがすぐに救出する手筈になっています」
オズベリヒは窓の向こう、檻の両側に控えている二人の兵士を指差した。
「場合によっては被検体のドワモ・オーグを射殺するよう命じています。貴女の侍女の命が最優先です」
彼が初めてファニータに対して気を配るような発言をした。そう思い、マレーナはオズベリヒに顔を向ける。
「ドワモ・オーグはいくらでも代わりを用意することが出来ますが、人間の女、それもあのような上物の生娘はそう簡単にはいかない。貴重な女です。大事にしなければなりません」
そう言うことか――マレーナは落胆する。彼はファニータを人間とは思っていない。実験道具としか考えていない。マレーナに再び悔しさが込み上げた。
「そうそう、珍しい物をお見せしましょう」
オズベリヒは言いながら、先ほどテーブルに置いた物を手に取り、マレーナの前に差し出した。
「これが何か分かりますか?」
それはガラス製の薄い円筒形の容器で、実験器具の一種『シャーレ』、あるいは『ペトリ皿』と呼ばれる、細菌の培養実験などに使われる蓋付きの皿だった。中には白い液体が入っている。
マレーナがシャーレの中に目を凝らすと、それは液体だけではなく、その中で無数の小さな粒がひしめき合い蠢いていた。
「微生物……ですか?」
首を傾げながらマレーナは投げやりに答える。今の彼女には全く興味が持てない、どうでもいいことだった。
「これはドワモ・オーグの雄から採取した精液、精子です」
「え?」
「姫君もご存知ですよね? 性行為の際に、男性が生殖器官から排出する体液です」
顔を赤くしながら無言で頷くマレーナ。座学で習ったことがあるため、当然その役割も含めて知識としては知っていた。写真を見たこともあるので形状も把握している。目の前のシャーレの中で蠢いているそれは、詳しく見ると知っている物と酷似していた。
だが、マレーナが見知っている人間の精子の形状は顕微鏡写真によるものだった。人間の精子は、数百倍に拡大してようやくその形が把握出来る大きさである。ところが目の前のそれは、肉眼でその形状が確認出来る大きさだ。
「驚きでしょう? 我々人間の精子と比べたらかなりの巨大サイズと言える」
オズベリヒは平然と続けるが、マレーナは言葉が出なかった。
「これが本当に人間の卵細胞と結合して受精可能なのか、私は楽しみでなりません」
彼はワクワクとした、好奇心に満ちた子供のような笑顔を見せる。
(こんなものを胎内で出されたら、ファニータは確実に妊娠してしまうのでは)
悪寒が走った。マレーナの全身が粟立った。
「さて、そろそろ彼女にも薬が効いてきた頃でしょう」
オズベリヒは机の機械を操作し、マイクの通話スイッチを入れる。
「檻を開けて、そいつを外へ出せ」
隣室の兵士に命じた。
窓の向こうでは、オズベリヒの指示を受けた兵士二人が敬礼した後、檻の錠を外して扉を開いた。兵士二人は即座に檻から離れ、ファニータの載るベッドの方へ移動する。そして手にした長銃を構え、銃口を檻の方へ向けた。
「――グルルル」
開放された檻の扉から、喉を鳴らしながらドワモ・オーグが出てくる。
「ひい……」
ベッドに座り込むファニータが小さな悲鳴を上げた。鎖で繋がれた手枷と足枷のせいで、彼女はその場から逃げることは出来ない。