作者あとがき-1
還暦を超えて、はじめて恋愛官能小説を書きました。
モデルはいます。かなり以前に恋をした女性です。本当に好きでした。でもこの小説のように成らぬ間柄でしたので小説のように具体的なお付き合いには至りませんでした。お話だけは少しさせていただいたことがあり、このまま話を深めていけばお互い分かり合える女(ヒト)なんだろうな、という直感は確実に働きました。おそらく間違いなく直感は当たっていたと思います。それがこのような長い小説にまでなってしまった原因と言えば原因です。
やはり私は本物の恋をしていたんだと思います。人生にはそういう恋もあるものだということでしょう。残りの私の人生でそういう恋はもうやってこないかもしれませんが、本当にやってこないということがわかってしまったら、男は生きていけるものなんでしょうか、そういう疑問についてここまで書いてみたような気もしますが、答えが出たようにも思います。可能性は限りなく低く決して実現することはないかもしれませんが、有るかもしれないと思えることで人間は生きていけるものなのかもしれません。
読んでいただけた方には年配の男性もいらっしゃると思います。
また年配とは言わずとも中年に差し掛かって人生とは何事か、という問いへの答案を纏めようと模索しだした男性の方々もいらっしゃるでしょう。
男性の皆さん、皆さんはいかがでしょうか?ときめきや性の喜びをどう人生の中に位置づけていますか?
それでは、女性にとってはどうなのか、
その問いに対して奈岐がどう考えたのか、ということを多少は女性の立場で、多くは男から見た女性というものをこの小説の中で見てきたつもりです。
それは男の哀しさより、女性にとってはより切実に人生の悲哀が迫ってくるものなのかと思います。現にまだ十分に女としての喜びを味わえる三十代半ばあるいは不惑の四十という時期というのは、特に既婚の女性にとっては夫からの身体への愛はかなりの場合期待できない状態になっています。そういう状況に置かれた美しい女性が実に多いと思います。
そして五十歳前後で訪れる更年期と言うものが女としての実機能が失われる時期とすれば男より実際には二十年以上早い時期にそれを向かえなければならない。四十歳という年を迎えるということはそれが目前に迫るような感覚が有るはずです。
繰り返しになりますが、その四十というのはまさに女盛り、性の喜びを存分に味わい尽くせる年齢なのです。奈岐の渇望はそれぬきに語ることが出来ないと私は思います。まだまだ奈岐に女としての喜び、生きる喜びすなわち性の喜びを十分に味わい尽くしてほしい、そういう切なる願いをこの小説に込めたつもりです。
どうか、奈岐に代表される輝きに輝いている、今女盛りにいる美しい女性たちには、あらん限りの喜びを味わってこの世の性を謳歌していただきたい、と切に願っています。
不謹慎かもしれませんが個人的には、女性と言えども家庭を壊さない限りにおいては、そういうことが許されてもいいのではないか、神は許し給うのではなかろうかと思っています。