島唄-6
もしおなかがすいたらしのと食べて、と袋に入った黒糖ピーナッツを俺に渡しながらさおりさんが言った。お店は比較的遅い時間まで営業しているので、とりあえず俺としのちゃんだけが先に家に帰ることにしたんだけど、それを提案して、
「しのと、ゆっくりしててね」
と言ったさおりさんのいたずらっぽい目線がくすぐったかった。
しのちゃんに引っ張られるようにして白い壁のショップハウスの玄関をくぐる。なつかしい、さおりさんの家の匂いがする。
靴を脱いでランドセルをリビングに置いたしのちゃんが、俺の旅行カバン代わりのリュックサックをふざけたようにうやうやしく俺の手から受け取り、ランドセルのとなりにそっと並べた。顔を上げたしのちゃんがにへー、と笑顔になり、ちょっと恥ずかしそうに唇を尖らせ、そしてそっと目を閉じる。
しのちゃんの肩を抱き寄せようとして気づく。しのちゃん、明らかに背が高くなっている。しのちゃんの顔の高さに俺の顔を合わせようとして曲げた膝の角度が、最後にしのちゃんを抱きしめたときと比べて浅いのがわかる。小学2年生から3年生へ、8歳から9歳へと成長ようとしているしのちゃん。でも、俺の眼の前で、俺のキスを待っているこの表情も、しのちゃんの身体から立ち込める少女の体臭も、尖らせた唇の隙間から漏れるしのちゃんの息臭も、なにもかもが俺にとっていちばんなつかしく、いちばん愛おしい、「こいびと」のしのちゃんそのものだ。
しのちゃんの両肩に手を置き、そっと抱き寄せながらしのちゃんの唇に俺の唇を合わせる。口から軽く息を吸い込むと、しのちゃんの口の中にあった温かな空気と唾液の湿り気が俺の口蓋に伝わる。ああ、しのちゃんの息、しのちゃんの唾液、しのちゃんの身体の中にあった空気。
愛しさが全身を駆け巡る。しのちゃんと、ほんとうに久しぶりのキスを交わしながら、しのちゃんの幼い身体を強く抱きしめる。しのちゃんの細い背中を掻き抱き、しのちゃんの温もりを全身で享受する。
唇をそっと離すと、軽く上気した頬のしのちゃんが、目尻を下げてにへー、と笑った。
「しのちゃん……」
うまい言葉が続かない。けどしのちゃんの笑顔、俺だけに見せてくれる世界にたったひとつだけのこの笑顔を見ることができさえすれば、もう言葉はいらない。
しのちゃんがえへ、と笑う。俺の鼻腔を襲うしのちゃんの息の匂い。背が少し高くなっても変わらない、まだ少女のままのしのちゃんの幼い息臭。
「お兄ちゃんが来てくれて、ほんとによかった。あたしね、もしかしてもうお兄ちゃんとは会えなくなるのかな、って思ってた」
「そんなことないよしのちゃん。俺は、しのちゃんがどこにいてもこうやって会いに来る。いずれ俺も宮古島に引っ越してくるよ。そしたら前みたいに、いつでも、会いたいときに会える」
うん、と、しのちゃんがうなずく。しのちゃんの両肩からゆっくりと手を下ろし、ノースリーブの二の腕そしてうっすらと産毛の生えた前腕へと滑らせる。しのちゃんの肌。小学3年生の、まだ女の子特有の柔らかさの少ない、でもすべすべとした、幼女から少女へと成長しているしのちゃんの肌。
しのちゃんの両手を握る。しのちゃんが、もっと強い力で握り返してくる。
「あたしとお兄ちゃん、ずっといっしょだよね」
「そうだよ。俺としのちゃんは、ずっと、ずっと、いつまでも一緒だよ」
「ママも?」
このあたり、やっぱりまだ8歳なんだな。
「もちろんだよ。しのちゃんとママと俺と。いつまでも仲良く一緒に生きていくんだ」
「でもさ、あたしとお兄ちゃんは『けっこん』するじゃない?ママは?」
ああ、この、「ママは?」の「は?」の母音の形で止まる唇がたまらなく愛おしい。
「ママは、結婚してもずっとしのちゃんのママだよ。それは変わらないんだ」
「そうなの?じゃあ、あたしとママとお兄ちゃんと、三人でいっしょに暮らすの?」
ううむ、それなら俺はいわゆるマスオさんか。まあいいさ、しのちゃんと一緒にいられるなら世間がなんと見るかなんてどうでもいい。さおりさんとなら同居してもうまくやっていけるだろう。
俺が大きくうなずくと、しのちゃんが破顔した。
「やったぁ!あたしとママも、お兄ちゃんもずぅぅぅっ、と、いっしょ」
えへー、と笑うしのちゃんの口に、思わず鼻を押し付ける。鼻梁に当たるしのちゃんのちっちゃな前歯。唇や歯茎や下から伝わるしのちゃん臭い唾液。そして、しのちゃんの身体の温もりを湛えた8歳の吐息。下半身に疼きが走る。しのちゃんの温もりで、しのちゃんの匂いで呼び起こされる、ほんとうに久しぶりの「こいびと」での疼き。
リュックサックの中のライトグリーンの袋のことがちら、と頭をかすめる。ミラモールでしのちゃんに買ったお菓子。まあ、これはこのあとでもいい。さおりさんがお店を閉めて帰ってくるまではまだもう少し時間がある。
しのちゃんの口から鼻を離し、いたずらっぽい笑顔で俺を見ているしのちゃんの胸に顔を埋める。しのちゃんの体臭に包まれて、しのちゃんのまだぺったんこの、二次性徴の兆しのない胸の温もりを確かめる。そして、ゆっくりとしのちゃんの手を離して、その手をしのちゃんのキュロットスカートから覗く肉薄のひざ小僧に這わす。
しのちゃんが、俺の頭をやさしく撫でる。俺の手がしのちゃんの細いふくらはぎに伸びると、しのちゃんのその手が頭をぽん、と叩く。
「やっぱり、お兄ちゃんはエッチでへんたいだ」
咎めるような宥めるようなからかうような、彼女がエッチな彼氏に向かって言うとき独特の口調。まだこんなにちっちゃいのに、そういう意味ではしのちゃんも「女子」なんだな。
しのちゃんの顔を見上げる。俺を見てやさしく微笑むしのちゃんが、こく、と小さくうなずいた。