島唄-4
「ごめんね、寂しい思いさせて。俺……」
言葉が、胸が詰まった。さざ波の音だけが俺としのちゃんに重なる。
しのちゃんの足が、ほんの少し前に出る。まるで立ち歩きを覚え始めた幼児が恐る恐る前に進もうとするときのように、ごく小さな歩幅を踏み出す。やがて、ゆっくりと歩き出し、そして、明らかに走り始めたとき、しのちゃんの表情はもう泣き顔だった。
膝をついて両手を伸ばし、駆け寄ってくるしのちゃんを迎え入れる。全身で俺の胸に飛び込んできたしのちゃんが、俺の両肩にしがみついて、ちょうど一年くらい前、はるかぜ公園ではじめてさおりさんと会ったあのときのように、大きな声をあげて泣きじゃくった。うえーん、うええーん。しのちゃんの声が胸に響く。ランドセルごと抱きしめたしのちゃんの、宮古島へ飛び立ったあの日よりも少し背が伸びた身体から、それでも変わらずになつかしいしのちゃんの匂いが漂う。しのちゃんの髪の毛、しのちゃんの肌、そして全身を震わせるようにして泣きじゃくるしのちゃんの泣き声の呼吸に合わせて立ちのぼるしのちゃんの息臭。しのちゃんに会いに来た。しのちゃんに会えた。そしてしのちゃんは、俺を拒絶せずに、こうして俺に身体をあずけてくれている。
ふえええん、ぐすぅぅ、ひ、ひっく、ひっく。しのちゃんの呼吸がやや収まりかけたタイミングで、俺はしのちゃんの肩を抱いて、ゆっくりしのちゃんの身体を離した。目と鼻を真っ赤にし、頬に幾筋も涙が残るしのちゃんの開いた口からひく、ひく、とやや荒い呼吸が漏れる。その、しのちゃんの温かい息が、いま俺のすぐそばにしのちゃんがいるという実感をさらに強くさせる。
「しのちゃん、ほんとうにごめん。でも、悲しまないで。俺は、しのちゃんのことが誰よりもいちばん大切だよ」
こく、と、しのちゃんが小さくうなずく。
「だからこうして、しのちゃんに会うために飛行機に乗ってきたんだ。だって、しのちゃんは俺の……」
ちょっと照れが生まれた。一瞬口ごもり、小さく咳払いして、しのちゃんの目をはっきり見ながら続ける。
「しのちゃんは俺の『こいびと』だから」
「……うん」
しのちゃんが、泣き笑いの顔でうなずいて、そして恥ずかしそうにえへへ、と笑った。
「びっくりした。だって、お兄ちゃんがいるだなんてぜんぜん思わなかったんだもん」
そう言って右の手のひらでぐい、と涙を拭う。その手をキュロットスカートでごしごし、と拭き、にへ、と笑って俺にその手を差し出す。数カ月ぶりに握ったしのちゃんの手は、一学年大きくなったぶん成長しているように感じられた。
でかい海老のグリル焼き。イラブチャーの刺身。大きなボウルに入ったタコのカルパッチョ。そして、なぜかしのちゃんが得意げに鼻をふくらませながら運んできたシーザーサラダ。ここ数ヶ月の俺がアパートで食った食事の何倍も何十倍も充実したメニューが続々と並べられる。
「こちら、当店特製のアペリティフでございます」
さおりさんがおどけた表情でオリオンドラフトと元気の子のグラスをテーブルに並べる。いつのまにか俺の向かいに座っていたしのちゃんが、大真面目な顔をしてカルパッチョとシーザーサラダを取り皿に分けている。お店の反対側には観光客の小グループがいて、さおりさんと元のオーナーさんが焼いたでっかいステーキを歓声を上げながら頬張っている。
お兄ちゃん遠慮しないで。私、腕によりをかけておもてなししちゃう。そう言うさおりさんの好意にずうずうしく甘えた俺もさすがにこの豪華さにはたじろいだ。
「もし足りなかったらリブステーキも焼くからね」
わーい、と両手を挙げたしのちゃんの向かいで俺は間違いなく引きつった笑顔を見せていたはずだ。いやあ、いくらなんでも食いきれねえんじゃないか。
しのちゃんの手を引いてお店に戻ると、さおりさんと元のオーナーさんが笑顔で ―特にさおりさんは安堵のこもった笑顔で― 出迎えてくれた。オーナーさんには俺のことは半ば正直に、半ば冗談で「しのの婚約者」と紹介しているらしい。俺に握手を求めてきた元オーナーさんの右手は温かく柔らかだった。宮古の方言はよくわからなかったけれど、とにかく歓待してくれていることだけは伝わってきた。
元気の子で満たされたしのちゃんのグラスと、オリオンドラフトがきれいな泡をたたえたキンキンに冷えたグラスとをかちん、と合わせる。
「かんぱーい!」