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【ファンタジー 恋愛小説】

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楓《前編》-1

まず初めに。
君に、ありがとう。

雨は、世界を流し去ることを目的としている。そう感じるくらいの強い雨。斜めに振る天の涙が激しく窓に打ち付ける。僕は暗い部屋の中で、貴女と向き合っている。見つめ合っている。そして、貴女は僕に言った。

「キミはキミである必要なんてないの」と。

どこかの高校から、チャイムが聞こえてきたせいだ。僕がそれを思い出したのは。公園のベンチ、サンドイッチを片手に座る僕の瞳には、空が映っている。
記憶の中の貴女の顔が、鮮明にイメージされる。そして、記憶の中の貴女は、あの頃と何も変わらぬ、知的な表情でそれを言うのだ。貴女の唇から零れた言の葉は、僕の心に小さな宇宙を作り出す。
その宇宙は、僕の生気を食らい、徐々に拡大する。それは、多分自律神経に支配されていて、だから僕にはどうする事も出来ないのだろう。
ネクタイを緩め、お茶を飲んだ。街には、ただ生活を営むために生活をしている大人達が溢れていて、その様を見ていると、貴女の言葉は確かに的を得ている、と僕は言わざるを得ない。

「だから、女紹介してやるって」
お節介な友人Aは僕に言う。彼とは小学からの腐れ縁で、もう十数年の付き合いになる。故郷を離れ、社会人となった今でも偶然同じ街に住んでいるなんて、腐れ縁もいいところだ。僕達は月に二度程休暇を利用して、ファミレスで食事を共にした。
「要らないよ」と僕は首を振る。
「なんでだよ。お前、もうしばらく女いないだろ?」
「いないね」
「女とだって、ヤッてねえんだろ?」
「彼女でなくても、セックスは出来る」僕はコーラを飲み干し、煙草に火をつけた。すでに食べ終えたミートソースの食器は下げられていて、テーブルには灰皿とグラスだけが乗っていた。
「まあ、そう言うなよ。近いうちに合コンやるんだ」
「それに、参加しろと?」
「そういう事」
「頭数が揃わないのか?」
「そういう説もある」認めて、彼は頭を掻いた。僕は彼のこういう所が憎めない。僕は渋々了解する。

高校の頃、僕はひどい失恋を経験していて、それが原因となって恋人をつくらないのではないか、と友人Aは考えているようだった。
実際はどうなのか、正直僕自身にもよく分からない。彼の言う通り、無意識的に貴女の事を引きずっているのかもしれないし、ただ単に興味を惹く相手に巡り合っていないだけなのかもしれないし。
いずれにしても、僕はそれに焦りとか、そういった類いの事を感じていなかった。僕は、ただ生活をするために。昨日と今日を繋げるために、毎日を過ごしていた。

平凡で、
平坦で、
無感動な日々。
それが、悪くないと思えていたのは、
君と出会っていなかったから。

君は楓、と名乗った。他の女の子と違って、上気するでもなく、可愛い子ぶるでもなく。あくまで、友人Aの質問に答えただけ、という風に、落ち着いた声で君は名を名乗った。僕は、とある曲を連想した。楓、カエデ。
良い名前だ。
「あなたは?」
君は、頭の中で楓のメロディーをハミングしていた僕に声をかけた。
「僕は」言った時、僕の中の小さな宇宙が、言葉を飲み込んだ。口をついた言葉は、場違いな響き。


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