ヒジリ-3
その後、あたしは自分がどうやって帰ってきたのかすら覚えていなかった。
カーテンの隙間から朝日が差し込み、小鳥のさえずる声で目を覚ますと、あたしはいつもの様にベッドの上にいたのだ。
昨夜の出来事は夢だったのだろうか、ふとそんな事を考えたが、下腹部に感じる鈍い痛みがそうで無いことをあたしに教えた。
意識を失ってからのあたしが唯一覚えているのは、あの“声”が聞こえた事だった。
〈良い娘だ、主は誠に良いのぅ。これからも、私を満足させておくれ。〉
“声”を初めて聞いてから5年、私は“声”の求める通りに男を受け入れてきた。
夜な夜な街を歩き、物欲しそうな男を捜してはその男と肌を重ねる。時には同じ学校に通う生徒や教師達を受け入れる事もあった。
そしてその男達は皆、一時の快楽を求めてあたしの体を貪り、ひたすらに自らの欲望を吐き出した。
あたしに聞こえる“声”はそれを悦び、更なる快楽を欲した。
だがあたしはそんな“声”に逆らう事が出来ない自分を恥じ、淫乱を自覚した。
きっとあたしを求める男達も心の中ではあたしを下げすみ「誰とでも寝る女」と軽く見ているのだろう。
けれど、あたしにそんな事実を否定する事は出来ない。
あたしに《聖―ヒジリ―》なんて名前を付けたのは誰だろう。
こんなに汚れきったあたしには、何とも似合わない名だ。
「聖?ねぇ聖!ご飯終わったらちょっと付き合ってよ!」
そんな里穂の声に、私は限りなく細めた視線を向けた。
『これか?』
そう言って右手の人差し指と中指で細い物を挟む真似をし、それを口元へと運んだ。
「そっ!食事も睡眠もニコチンも、大切な物だからね!」
そう、これがあたしの日常。
教師の言うことになど耳も傾けず、授業の間は睡眠時間に充てる。
そして“声”を聞き、目を覚ませば里穂と悪戯を繰り返し、午後はその夜の男に目星を付ける。
「ねぇ聖、もう授業始まる頃だよね?」
煙草を片手に、里穂は言った。
『…だね。』
あたしは里穂の煙草から自分の新たな煙草へと火を移し、彼女の言葉に応えた。
「巧ちゃんの化学だよ?巧ちゃん、結構イイ男じゃん?」
『巧?……そっか。』
あたしは里穂の何気無い一言で、今日の男に狙いを定めた。
〈そうか、今日はその男を馳走してくれるのか。楽しみな事よ。〉
授業も終わり、生徒達も家路に着いた午後6時。あたしは校内に数ある、教科担当教員用の準備室の1つにいた。
『先生、遅いじゃん。ずっと待ってたんだよ?』
あたしは甘ったるい声を出し、その部屋の主へと囁き掛けた。
「確か…2年の早坂さん?」
そこそこに整った顔、短く揃えられた黒髪、背の高い体に羽織った白衣。
その男はあたしに言った。
『そうだよ。ねぇ、先生?あたしの事抱きたくない?』
部屋の窓から差し込むグランドの照明が映し出す陰、それが重なる程にあたしは彼の側へと歩み寄った。
「ふぅん、授業ではなかなか顔を合わせないけど、君の事は前々から知ってたよ。俺に抱かれたいんだ?」
あたしはその問いの答えの代わりに、白衣の袖を彼の腕から抜いた。