八代将軍吉宗-2
母親の身分が低い吉宗は、本来ならば徳川の血筋を名乗る事ができなかった。しかし、五代将軍綱吉に、目通りを許された事が転機となり、紀州徳川家の血筋と認められる事となった。
その後、紀州藩の継承上位の者が次々と他界し、ついに御三家紀州藩主となったが、吉宗の破竹の勢いはそこで終わらなかった。
徳川本家に将軍継承者が途絶えてしまい、御三家筆頭の尾張を飛び越えて、吉宗は将軍にまで登り詰めたのだ。
将軍となった吉宗だが、幼少の頃を市井で過ごした環境が影響し、決してお飾りのままにはならなかった。
そのため、老中達が壟断する政をよしとせず、将軍親政を目指す吉宗には、世間を知るための耳目が必要だった。
しかし、これまで老中の配下だった伊賀者を、そのまま信用する吉宗ではなかった。吉宗は、紀州から連れてきた薬込役(くすりごめやく:配下の鉄砲衆の事)を【御庭番】として徴用し、自身の耳目としたのだ。
歴史の闇に隠れているが、そんな御庭番には2通りあった。政を老中から取り上げるための諜報活動をする者を【正】としたが、更に存在を秘匿された【影】も暗躍していたのだ。
【影】の創設には大奥の存在が深く関わっていた。その頃の大奥は、六代将軍家宣の正室である天英院と、側室ではあるが七代将軍の生母となった月光院が、勢力争いの真っ最中だった。
本来ならば、大奥に入るはずの正室の理子が既に亡き事を幸いに、吉宗は吉宗で、享保の改革のために、無駄遣いの大奥に手を入れようとしていた。
しかし、公家の出、それも関白の近衛基熙の娘を放逐する事も叶わず、そもそも徳川家の母と称される春日局が創設した大奥を無くす事は、流石の吉宗にもできなかった。
こうして、大奥の2大勢力と吉宗は、三つ巴の暗闘を繰り広げるに至った。
いくら豪胆な吉宗であったとしても、裸で敵の牙城で過ごす事はできず、その結果、将軍の性の象徴である大奥を使わなくなってしまったのだ。
しかし【暴れん坊将軍】は【暴れん棒将軍】なのだ。当然の如く、大奥に代わる性の捌け口が必要になった。
お忍びで吉原に行ったこともあったが、『見合い』『婚姻』『初夜』と、行為に至るまでに3度も通う事は性格に合わず、ご法度を破って1度目で太夫を犯してしまった。正体を明かして、袋叩きに遭わずに事なきを得たが、これに懲りた吉宗は2度と吉原の大門をくぐる事はなかった。
近場ならば別にして、そもそも江戸城を度々抜ける事は困難だった。その結果、こっそり用意された女を抱いて性の処理をしていた。
吉宗の性格上、ただ、股を開くだけの世間知らずな女は不要だった。しかし、抱いた女が孕めば問題になる。大奥以外で将軍の種が出たとなれば、後々の継承問題で足元を掬われる事になり得る。家康の血筋は多く、傍流から入った吉宗の地位を、虎視眈々と狙う者は多く居るのだ。女に吉宗の正体を秘すには単発に限る。そんな女にそこまで求める事は、なかなか叶わなかった。
ある日の江戸城近くに用意された隠れ屋敷での事。女を抱く前に、吉宗は御庭番の報告を受けていた。
しかし、諜報の報告に来るはずの者が体調不良となり、代わってその配下の若いくノ一が報告にあがっていた。
一通りの報告を受けていた吉宗だったが、くノ一が美形だった事で悪戯心が涌いてきた。
「このまま、用意された女を抱くのも興ざめじゃ。そなたが見聞きした男女が交ぐわった話を聞かせてくれぬか。それを寝物語の代わりとして、その女を抱く事にする」
男の御庭番からそんな話を聞いても面白くないが、忍びの者とはいえ、女に性の話をさせると興奮すると考えたのだ。
「だ、男女の行為の事でございますか…。そ、それは…」
くノ一は言い淀んだ。
「なんだ?夜に屋敷に忍び込むのが任だというに、そなたは見た事が無いと申すか」
吉宗の目が細くなった。娯楽の少ないこの時代。夜に男女の性が無い事などあり得なかった。
「そなたの忍びの技が知れるのお。将軍にそのような者を遣わすとは、今後を考えねばならぬな」
「い、いえ、あります。申し上げます」