8 オレンジの花言葉-1
窓の外に目をやれば、バレンシアオレンジの青葉が風に揺れている。
この教会の敷地には他にもいろいろな種類のオレンジの木が植えられているが、中でもヒメリアというのは、このウタタネの森固有の珍しい種のオレンジだ。
この日僕らは初対面だったが、お互いのことをすぐに認識した。
「あの、ノルマン様?」
と、声をかけられた時というのは、僕は庭先に出て夏の野菜を摘んでいるところだった。
ノルマンというのは僕の名前のことだ。
そして僕たちが今いるのは敷地の奥にある菜園で、ただの礼拝者であればここまでは入って来ない。
僕の名を呼んだこのエルフの女のひとを、おそらく僕は知っている。
ヒメリアという名前のついたこのエルフのことを。
人間の僕がこの教会の司祭としてエルフの森に身を置けているのは、ひとつはこの教会の本当の司祭とのつながりを利用したためだ。
ヒメリアはその司祭、ロイという名の男のエルフなのだが、その司祭の一人娘だ。
学者でもあるロイはしばらくの間この森を離れることになったため、その間この教会のきりもりと、そして「もうすぐ成人を迎える一人娘のヒメリアが司祭見習いとして上手く立ち回れるように支えてやって欲しい」、というロイの要望があり、僕はこれを引き受けた。
職業柄僕は土着宗教に詳しかったので、この条件を飲むことでこの森に滞在することが許された。
「君は、ヒメリアか」
彼女は思わず呼び捨てにしたくなるような、そんな愛らしく幼い顔立ちをしていた。少しのそばかすと、短く切った前髪――。
「まあ!」
ヒメリアは大袈裟な感じの、驚いた表情を作ってみせた。
彼女は柔らかな金色をした髪の毛を、祭服のかぶり物のなかに小綺麗にまとめていて、しっかりと顔を見せている。
「この森であなた様が私を呼び捨てになさるのは、あなた様が私のことを幼い少女だとお思いになっているか、あるいは伴侶としてお想い下さっているということです」
僕は少し、バツの悪いような気持ちになった。
異郷で暮らすことの多い僕はこうしたカルチャー的な過ちには慣れているが、いつでも己の無知さ加減を知る謙虚さを忘れてはならないと日々思い知らされるばかりだった。
「失礼。それでその、君はロイ博士の・・・」
「ふふ、冗談です。ノルマン様のことは父からよく聞かされておりますよ。ですから私はあなた様のことは幼い頃から存じ上げておりました。私のことはどうか、ヒメリとお呼びください」
ヒメリアはそういってあどけない態度を僕に示してくれた。ただ、口調の丁寧さもさることながら、彼女が成人したエルフの女性であることは彼女の容姿からも明らかだった。
僕の視線に気づき、ヒメリアは少しだけ体を傾けて、照れ臭そうに背中を見せてくれた。
この森の成人したエルフの女性には羽が生えている。
薄羽カゲロウのようにほとんど白色透明の羽だが、かすかに淡い青色の光を宿している。
女性用の祭服にはセーラーのような襟がついていて、そこからすっと伸びた羽が背中に沿って垂れている。
僕が羽を見すぎたせいなのか、ヒメリアはちょっと顔を赤くした。
「と、とにかく、私のことはヒメリとお呼びください。みなそう呼んでいますから」
「わかりました。これからよろしく頼みますよ、ミス・ヒメリ」
父親のロイの話では、彼女はかなり気むずかしい娘だと聞いている。
さて、案外そうでもなさそうだが、どうだろう。
ヒメリアは僕の横にしゃがんで、野菜を摘むのをテキパキと手伝ってくれた。このきゅうりはダメ、このなすびは良さそうだ、あっちのピーマンはまだ早い、などと姑のような口やかましさはあるにはあるのだが。
また、ヒメリアはおっちょこちょいな娘でもあるようだ。
野菜でいっぱいになったバケット籠を彼女は僕からひったくり、立ち上がる。しかしこの時、彼女は祭服の裾を踏んでおり、顔面の方から盛大にずっこけた。
これだけならまだよかったが、手をついた時に祭服のお尻のところがびりびりと破けてしまい、クマさんのおパンツがこんにちはと挨拶でもするように完全に露呈してしまった。
クマは目いっぱいに伸びきって、突き出された大きなお尻を一生懸命に包み込んでいた。
見事に実った野菜がそこら辺りにごろごろと転がっていて、僕はなんだか騒がしい夏がやってきたようなそんな予感がしていた。