妻を他人に (6) その日-1
エプロンをしたゆきが、甲斐甲斐しく動き回っている。
私も負けじと右往左往するが、妻の手際と段取りの良さにはかなわない。
それにどうも気が散って仕方ない。妻の横顔、真剣な表情、何やらブツブツつぶやいている少し尖った口元。恋人時代から数えて十五年にもなるのに、私はいまだにこの女性に惚れている。ただ眺めているだけで胸が締め付けられる感覚がある。
ちらちら見ているとゆきと目があった。「ほら、なに奥さんに見惚れてるの? 動いて!」。ああ、幸せ。
リラックスしたナチュラルメイクのゆき。
くりっとした大きな瞳は、上にカールするまつ毛とふっくらした涙袋とともに涼やかな目元を構成している。つるんとした広い額にまっすぐ伸びた眉、柔らかそうな唇、桜色に染まった頬、シュッとした顎のライン。妻の顔は美しさと可憐さ、そして人妻らしい清楚さの狭間で揺れている。
「パパ、大皿取ってくれるー?」
「あいよー」
「それじゃない。前買った黒いやつ」
「はい、すみません」
私の出した皿に、二人で作った料理やサラダを盛り付ける。
額にうっすら滲んだ汗を、ときおり手の甲で拭う。ゴールドのイヤリングが揺れる。
アップにした髪はなんだか複雑な結わえ方でまとめられ、首元に覗くうなじと鎖骨をセクシーに引き立てる。胸の膨らみの上で控えめなデザインのネックレスが品よく輝き、ロング丈のフレアスカートがヒップからくるぶしまでの曲線を慎ましく覆う。
「料理よし、お酒よし、氷よし!」
「もう並べちゃおっか?」
「そうだね」
キッチンとリビングの間を忙しく行き来する私たち。妻とすれ違うたび、ゆき独特の甘い体臭がふわりと漂ってくる。我慢できず首元や腋の臭いをくんくんすると、きっと睨まれ突き飛ばされる。
「だって今日のゆき、いつも以上に可愛いから」
「この忙しいときにどういうのんき発言?」
ピンポーン――。
「ほら、もう来ちゃった! パパ、ぼーっとしてないで早く出て! あ、お箸出してなかった! あ、コップも!」
インターフォンのモニターに、両手になにやら手荷物を抱えたZが映し出されていた。
*
ある春の日の昼下がり。
私たちはZを自宅に招き、ちょっとした宴席を設けた。
「ゆきさーん。誕生日おめでとうー!」
「きゃー、なにこれ! ていうか、なんで誕生日知ってるの? あ、ありがとう……!」
玄関を開けるなり、満面の笑顔のZが大きな花束をゆきに手渡した。
「今日はお招きいただきありがとうございます。いつも旦那さんをお世話してるZといいます!」
「あー、お世話になります……! てか、すごい花束。いい匂いー……!」
「お世話してるとはなんだ、お世話してるとは」
「ゆきさんこの前誕生日だったでしょ?」
「そうだけど初対面なのに……なんて気が効く人、ねぇパパ? あ、このお花可愛いー!」
「ちょうど行きがけに花屋さんがあったんで柄にもなく買ってきちゃいました」
「センスあるよー。ほら、なんだろうこのお花……」
「店員さんにおすすめされるままにアレンジしてもらっただけですよ。そういうの疎くて。ははは」
花の名前やら買ったお店やらについてにぎやかに会話する二人。
「おーいお前ら。とりあえず中入れよ」
「あら。つい玄関先で話し込んじゃった。うふふ……」
リビングに足を踏み入れてもZのおしゃべりは止まらない。持参した酒とつまみを手渡しつつ、テーブルに並べられた料理に驚いてみせ、家具やインテリアを褒め、アロマの香りについて質問している。
まったく大した女たらしである。家の中におけるゆきの「こだわりポイント」を的確に嗅ぎ分け、まるで以前からの友人であるかのように妻と言葉を交わす。
誰とでも別け隔てなく接するゆきではあるが、美人特有の異性への警戒心からか、男に対し初対面でここまで打ち解けるのは珍しい。
しかも相手は、夫の変な趣味により自らの下着を貸し出した男。
汚れたショーツを見られ、匂いを嗅がれ、精液で汚され、あまつさえそれを舐めさせられている異性。
今日このあと、自分を抱くことになるかもしれない男――。
*