歌うたいのバラッド-1
学生時代から俺は行きつけの店、というものを作っていない。いや、チェーンの牛丼屋とかラーメン屋とかには「よく行く店」はあったけれど、俺には行きつけの店っていうのはなんていうか、まず前提として個人経営で店員さんがあまり入れ替わらずお気に入りのメニューがあって店員さんとある程度顔見知りになって、ってイメージがある。特に俺みたいなコミュ障は「店員さんとある程度顔見知りになって」会話を交わしたりするようになることがハードルになってしまう。だから無機質で画一的なサービスのお店のほうが居心地がよく、外食時はついついチェーン店がメインになる。
ので、俺にとっては、さおりさんが働くこの喫茶店と怡君さんがいるあのバーは、人生でほぼ初めてできたほんとうの意味での「行きつけの店」だ。特に休みの前の日には、電車を乗り越して喫茶店で夕食を食べたりバーに寄って怡君さんと話しながら飲んでから帰ることが習慣のようになった。
今日は喫茶店で、さおりさんが提案した新メニューのロコモコ丼にセットのコーヒーという夕食だ。午後八時近い喫茶店はそれなりに席が埋まっていて、カウンターの端の席に座る俺にかまう暇もなくさおりさんともう一人のパートさんは忙しくしている。有線のビートルズはたいてい無秩序にシャッフルなんだけど、ボリューミーなロコモコ丼を食っている間に流れたのは「Michelle」「Something」「You’ve Got To Hide Your Love Away」と見事にスローな曲ばっかで、さおりさんたちのテンポとまるで一致していないのが妙におかしい。
「お兄ちゃんなに笑ってるの」
飲み物や料理をひととおり出し終えたさおりさんが、俺のコップに水を注ぎながら言った。本当のことをいったらたぶん怒られる。
「あ、いえ、このロコモコ丼おいしいなあ、って」
「褒めてくれてもおまけは出ませんよ、ねー」
さおりさんがパートの女性と顔を見合わせて笑い合う。ここでやっとポールがBPM速めの「I Saw Her Standing There」を歌い出す。彼女はまだ17歳、この意味がわかるかい?と、ポールが意味深に歌うけどこっちは8歳だぜ、勝ったな。いやどういう勝負なんだこれ。
「今日は残念だったね、しのが来てなくて」
「学校の用事ですか?」
「ううん家事。洗濯物が溜まっちゃってるの、衣替えサボってたら急に冷えだしたでしょ、あわてて入れ替えたものだから大変。だからしのは、学校から帰ったらひたすら洗濯物畳み」
暖冬になる、と言っていた長期予報はやっぱりはずれなんじゃないかと思うくらいに先週末から気温が下がりだした。俺も積み重ねた衣装ケースのいちばん下からベンチコートを引っ張り出してきて今日も着てきている。サラリーマンコートやせ我慢大会にはノミネートすらできないほど俺は寒さに弱い。なんなら十月から暖房入れてもいいくらいだ。
「お兄ちゃんも風邪引かないようにね、お仕事、建物の外にいることも多いんでしょ?」
「はい、でも短時間ですから」
「そういえばしの、私が宮古から帰ってきた次の日にちょっと鼻ぐずぐずさせてた。すぐに治ったけどね、お兄ちゃんにうつしでもしたら大変だ」
ちょっとした目線の泳ぎをごまかすためにコーヒーカップを手にした。たぶん俺のベッドの上で長い時間裸でいたのが原因だろう。あの時点ではまだそれほど気温は下がっていなかったけど、8歳のしのちゃんでは抵抗力や免疫が大人の俺とは違って当然だ。ごめんしのちゃん。飲み頃になったコーヒーをすすりながら内心でつぶやく。でも、あの夜のことは俺、一生忘れない。人生初の「こいびと」との性器の接触。しのちゃんの小2おまんこ、8歳児の無毛ワレメへの直の射精。
「お兄ちゃん甘いもの好きだっけ」