俺が女に見える世界の話1-1
その日は別に普通の日で、いつものように起きていつものように、Tシャツとチノパンで電車に乗る、それだけだった。
いつもの通り、俺は左右を見て中年サラリーマンが多いドアに乗り込む。
別にミソジニーではないのだが、例え俺がゲイじゃなくても女性に密着するのは面倒だから避けたいし、ハッテン目的じゃなくてもタイプと密着して少しでも満員電車を快適に過ごしたい。
どんどん人が入ってくる中、俺は暴力的にならない程度に後ろのおじさんを背中で押し込み、自分の立ち位置を確保した。
ドアが閉まる瞬間のギュウギュウ詰めが、発車後少しづつ解消される。
みんなが立ち位置を決めると、意外に隙間って空いたりするのが満員電車あるある。
…と思ったが、何故か後ろのおじさんが俺の背中にピッタリとくっ付いた。
しかも、腰の辺りをモゾモゾと動かしている。
なんとなく放置していると、俺の尻をナニかが突き上げた。
え、この路線でハッテン?と、驚きと興奮で俺は震える。
おじさんは、俺が抵抗しない事をいい事に左手で俺の腰を掴み、右手は脇腹をソロソロと登ってくる。
右手はやがて俺の胸に辿りついた。
他に見られたら、でも乳首弄られたら…と羞恥と妄想を思考が行き来してしまう。
おじさんは俺の心を読み取ったように…と脳内小説を作り始めたところで何か違和感を感じた。
おじさんは俺の乳首ではなく、胸を揉みしだき始めたのだ。
ちょうど、女性の乳房を手で鷲掴む様に…
確かに俺は大胸筋はあるが、にしたって…と思っていると、その手が急に上へ掲げられた。
「お前、痴漢してるだろ!」
後ろのおじさんの手を、ちょっとコワモテのガッシリとしたおじさんが掴んでいた。
次の駅でその痴漢おじさんとコワモテおじさんは降り、俺もなんとなく降りた。
痴漢おじさんは「そいつがケツ押し付けて誘ってきたんだ!」とか喚いていたが、もしかしたら電車に乗る時にそういう形になったかもしれないけどやるわけないだろバカかと思い冷めた目で見ていた。
痴漢おじさんは無事鉄道警察に連れていかれたので、コワモテおじさんに一応、礼を言った。
「君もね、素肌にTシャツとか、そういう何も気にしてませんみたいな格好が一番狙われるんだぞ?」
とコワモテおじさんは言う。
…は?何言ってんのこの人?
おじさんはさらに続ける。
「君、美人なんだから。」
俺は返事をしたかどうか忘れるくらい、その言葉が頭からしばらく頭の中で響いた。。
コワモテのおじさんも、女性の価値基準が美人かどうかってダメな倫理観丸出しーと、一応ゲイとしてジェンダー意識のある俺は思う。
いやいや、そこじゃない。俺は美人じゃない。てか、女性じゃない。
食っても筋肉付けても全然ごつくなれない残念細身ゲイの俺だが、女性に見えるかと言えば全然そんな事ない。
顔はふつーの日本人男性。
ブサイクでないのが唯一の救いくらいで、普通にゲイ的にモテ筋でもなく、でも彼氏ができたことは普通にある。つまり普通。
なんか、朝からやべえ人に会っちゃったな…と考えながら、俺は勤めている小さなIT会社に着いた。
「すいませーん!なんか痴漢に会っちゃってー」
挨拶をして皆の顔を見る。
全員が、ハニワみたいな顔で固まっている。
「え、どうしたのー?俺が美人にでも見えるー?」
笑いながら言った。それでも皆、土偶状態で動かない。
「あの…俺、拓生。マジでどしたん?」
未だ数秒の沈黙。そのあとで、部長が口を開いた。
「拓生…の…奥さん?」
「…は?」
今度は俺がハニワになると、皆が一斉に騒ぎ出した。
「え!!奥さんだって!!」
「いやアイツゲイじゃん!偽装?」
「どっちを偽装!?ゲイじゃない?結婚が偽装?」
「てかおいおい、アイツなんでこんな美人の奥さん貰ってんだよ!ゲイの癖に!!」
パニックで話にならない。
俺は一旦その場から逃げることにした。
ゲイの癖にってゲイも女性もバカにしてるよなーとかまたそんな余計な事を考えてしまったが、俺はまたしても美人と言われているようだ。
店のガラスを見る。俺だ。
スマホでセルフィーする。確かに俺だ。
そこそこフォロワーの多いゲーム垢に自画像を投稿する。
「誰この美人!」「ゲイやめたの?」「さっき抜いたばっかりなのに!」
など、リプいいねRTが初めて1万を超えたので削除する。
本当に、俺は女性に見えるのか…
俺はもう一度会社に戻り、取り乱したが姉である事、弟が行方不明な事、など涙ながらにでっち上げた。
野郎共は大いに親身になろうとしている。
部長なんかは肩をいやらしく擦り
「辛くなったら、いつでも相談してください。家族みたいなもんだから」
と全く似合わないジェントルマンぶりを見せる。
当然、周りから
「セクハラだ!クビにしろ!!」
「おい浮気ジジイ!その汚ねえ手をどけろよ!!」
「奥さんにまたチクるぞ!!」
と言われまた大パニック。俺は会社を後にした。
俺は親父と同居している家に帰る事にした。
何かによって他人の認知が歪んでいるんだとしたら、家族はどう見えるのか知りたい。
向かう間も、何人もの男がこちらを見た。
明らかに股間を抑えている者も居た。
俺が本当に女性に見えるとしたら、乳首が丸わかり状態になってるんだろうか。俺よく乳首立ってるし。
ブラジャーを買う勇気は無いのでそのまま我慢して家路に着いた。
帰路の最中、何十分もかけて今のイカれた状況を信じさせ、女性が今から来るがそれは俺だからと何度も念を押し、着いてすぐ、親父の年齢、死んだ母も知らない過去の浮気相手、昔母に捨てられたお気に入りビデオのタイトルなどを一気に話し、なんとか信じさせた。
そして直ぐに厚手のジャケットを取りに部屋に行った。
親父が変な気起こさないように。