その声を そのぬくもりを-3
僕は震えの止まらない体を、両手で抱きしめた。そうでもしなければ自分を見失いそうで、やけになった僕が、こんな姿を見るくらいならと、彼女を殺してしまいそうで怖かった。けれど、それに耐えるくらいなら、いっそのこと、このまま狂ってしまった方がずっと楽な気もした。
「晃久、落ち着くんだ」
悲しげな、低い声で父さんは僕の肩をたたいた。
「交通事故だったんだ。百合華は、姉さんは、信号が赤なのを見ていなかったんだ」
僕は、ゆっくりと顔を上げた。
「嘘だろ・・・姉さんはいつもしっかりしていたじゃないか。あの人が・・赤信号に気がつかないわけないだろ?」
僕は、父さんの襟首をつかんで、引いた。
「車は、運転手は?どこだよ」
生まれて初めて、殺意というものを抱いた。本気で、姉をこんな姿にした奴を殺してやりたいと思った。しかもただ殺すんじゃない。じわじわとなぶり殺しだ!
父さんは、首を振って言った。
「ここにはいないよ。警察だ」
「畜生!」
手を離し、こぶしを壁に叩きつけた。振動が壁を伝っていくのが分かる。僕は噛みあわない歯を、ガチガチと食いしばりながら、下を向いて呟いた。
「畜生・・・なんて、こんな」
「あのな、晃久。姉さんが事故に遭った現場には、これが落ちていたそうだ」
そう言って父さんが差し出したのは、長方形の小さな箱だった。英字模様の包装紙で包まれ、角が少し破けている。僕はそれを手にとった。
「開けてみろ」
と、父さんは言った。言われるままに包み紙を開け、それを見た時、再び、僕は呆然と言葉を失った。包みの中にあったのは、一つの時計だった。時針と分針以外は全て木でできている、とてもシンプルなやつだ。けれど僕が言葉を失ったのは、それが理由じゃない。
それと一緒に入っていたカードを見たからだった。僕は狂ったように早まる心臓を押さえた。息も切れ切れに、もう一度、そのカードへ視線を落とした。
『HAPPY BIRTHDAY
Dear Akihisa』
そうだったのか、と、カードを握ると、手の中からクシャリと言う悲鳴が聞こえた。
「姉さんは、お前の誕生日プレゼントを買いに行って、その帰りに事故に遭ったんだ」
震える声で、父さんは言った。泣きたいのを必死で堪えているのが、その表情からもうかがえる。僕はうまく動かない指で、時計を取り出し、それを右の手首に乗せた。
「父さん」
時計を見つめながら、僕は言った。
「なんだ?」
「この時計、おかしいよ」
「え?」
「動かないんだ・・・針が、一時から・・・止まったままなんだ」
それ以上は、何かが喉に詰まったようで、何も言えなかった。壊れた時計が、残酷なほど現実味を出してくれていた。姉はきっと、この時間に、事故に遭ったのだ。
泣き声も出なかった。ただ、目に濡れた膜が張ったかと思うと、熱いものが僕の頬を伝い、ためらいながら離れた。
そして幾分時間がすぎた後、ようやく僕は頭の中でもろもろの整理を終え、姉の眠る部屋で声を殺して泣いた。
気が付くと、夜が明けていた。立った一晩で、えらく老け込んだ気がする。
長椅子で、うずくまるようにして眠っていた僕を起こしてくれたのは、看護婦さんだった。いつの間に眠ったかも覚えていないし、眠ったからといって疲れが取れたわけでもない。今でも、泥沼にでも浸かっているかのように体が重く感じる。気だるい体を起こし、辺りを見回す。そこに父さんと母さんの姿はなかった。仕事へ行ったのだ。