車中の会話-1
蘭の運転する赤い軽自動車は軽やかに道路を走っている。
遥太は後部座席の椅子に腰掛けながら、運転する蘭と雑談に花咲かす。車内はラジオも音楽も掛かっていないので、二人の会話と車の走行音がよく聞こえる。
「そういえばお友達の小夏さんも車で来たんですか?」
「そう言ってたよ。多分、私達より先に着くんじゃないかな」
「だから、今日は二人共スニーカーなんですね。運転しやすいように」
目聡く足元を見ていた遥太に、思わず目が点になる蘭。
「ちゃんと見てるんだね。それじゃあ私は車持ってるのに仕事場までは車では出勤しない、この理由はどうしてか分かる?」
唐突な蘭の質問に、遥太は彼女の職業を思い出してから口を開く。
「えっと職業柄お酒を飲むからですか?」
遥太の答えに、「ピンポ〜ン」と蘭は上機嫌で正解を表す。
「アルコール低くてもお酒飲んで車運転したら飲酒運転になっちゃうからね」
「なるほど」
頷きながら遥太は、蘭が小夏と友人関係な事を思い出していた。
もしかしたらお互いにセフレ関係の事を相談しているのかもしれない。本当に彼女がそれを知っているかは分からないが、この際に聞いてみる事にした。
「あの、僕からも質問良いですか?」
「何?」
「蘭さんは小夏さんと高校時代からの友人ですよね?」
「うん、そう」
「その小夏さん、前に颯人のアパートの前に居たんですよ。それで思いっ切り颯人の部屋見てたんです。だからもしかして、何ですけど‥‥小夏さんは颯人のセフレって予想してるんです」
奥に見える信号機が黄色から赤になると、前方の車がブレーキランプが点滅する。蘭もそれに続く形でブレーキペダルを踏んだ。
そこからブレーキペダルを微妙に調整しながら、赤い軽自動車を前方の車との車間距離を五メートルほど詰める。
「蘭さんは、颯人か小夏さんのどっちからか訊いてたりしてます?」
信号機の前で一台の車の後ろに続いて、蘭の赤い軽自動車が停車する。
「小夏ちゃんが颯人君のセフレ?いや、小夏ちゃんは颯人君のセフレじゃないよ」
「え?」
「私が颯人君と関係持っているって話した日から、関係を止める側なのよね小夏ちゃん。でも、恋敵ってワケじゃなくて本当に違うの」
「そうなん、ですか‥‥?」
遥太はあっさりと自分の予想が否定されて戸惑う。
「うん。それにね、前にちょっと颯人君の方に好みを聞いたんだけど、小夏ちゃんはどうやら彼の好みじゃないみたい」
「え?でも、容姿はまさにどストライクじゃないですか?」
前に颯人の好みを本人が訊かれずとも勝手に話していた事を思い出して引き合いに出す遥太。
「容姿はね。けれど、それ以外の事が致命的にアウトらしいよ。だから、二人共それぞれお互いが好みじゃないって事ね」
信号機が青になると、車間距離を一台分ほど空けてから、蘭はアクセルペダルを踏んで発進させた。
「というかさ、そんなに気になるなら本人に確かめて聞いてみたら?他の人ならともかく、友人の君なら聞ける立場でしょ?」
「そ、そうですよね。すっかり気が動転してしまって、考えに至りませんでした‥‥」
ホッとする遥太。だが、その安心は長続きしなかった。
「まぁ確かに小夏ちゃん人妻だから、颯人君の性癖知ってれば関係を疑うのは分からなくもないけどね」
「え‥‥?」
蘭から告げられた人妻のワードに、遥太は瞬き出来ず固まる。
そもそも遥太が颯人と小夏の肉体関係を疑ったのは、確かに美貌やスタイルもそうなのだが、手白木颯人が好きそうなあの属性を彼女は有していると無意識で直感したのだ。彼がセフレの関係を持ちたがるあの属性を。
「え、蘭さん、あの、小夏さんって、その、既婚者なんですか?」
遥太はテンパりながら自分の問い掛けに対する返答は否定形を望んだ。
「うん。旦那さん居るよ。名前は瀬尾岩之助」
その瞬間、遥太は心の中で強烈な衝撃を受けた。現実で例えるなら、後頭部をハンマーで思いっきり叩かれたような衝撃だ。
「旦那さんは確か志乃野木商事ってところの部長だったかな。部署は忘れたけど。生真面目な仕事一筋な人らしいよ」
「そ、そうなんですか‥‥」
つい先程までは友人との関係を疑って悩んだが、今度は恋した相手が既婚者であるという現実を突きつけられる。しかも、相手は社会的な地位もある。一学生の自分ではそもそもの勝ち目などない。
あまりにも恋が終わるのは早かった。現実は非情過ぎる。
遥太の瞳から自然と涙がポロポロと零れ落ちる。
「それでさ‥‥え?君、泣いてるの?」
ルームミラー越しに遥太が泣いている事に気づく蘭。
「な、泣いてないです‥‥グス」
「思いっきり泣いてるんじゃない。一体どうしてなの?」
「それは‥‥!」
他人に言って良いんだろうかと遥太は口籠る。
普段通りなら考えてから発言するのだが、今はそれが出来る心境ではない。
「これでも私は接客業の従業員よ。相談事は朝飯前よ」
だから気軽に話して。
蘭の気づかいが、今の遥太の心境にはグサッと突き刺さり、観念して話す事にした。