とある女性の話-3
キッチンに行く際にダイニングテーブルの横を通り過ぎて行ったが、その上には何も乗っていない。夫は連絡を寄越さない時は外食。なので、今日の夕食は自分の分しか作っていないので既に片付け終えた。
小夏は流し場の前に立つと、コップ置き場にいくつかあるコップの内の自分の使っているピンク色のハートマークの描かれた白いマグカップを手に取った。これはペアのマグカップで、岩之助の方のは青い色のハートマークが描かれている。夫のは中身がキレイなままだが、彼女の愛用している方はコーヒー汚れで底の方に色素が沈着している。
手に取ってキッチンのカウンターに置くと、今度は戸棚の上にいくつかある調味料と一緒に置いてあるコーヒーの瓶を取る。
コーヒーはもっぱらインスタントのコーヒーだ。前に本格的なコーヒーを作ってみようとネットで器具を調べたが、結局買わずにこれに至る。
瓶を開ける前に引き出しからティースプーンを取り出す事を忘れない。コーヒーの瓶の蓋を開けると、ティースプーンを1杯をサッとマグカップに掛ける。
コーヒーを作る上で大事なお湯はご飯時前に温めてポットに入れてある。小夏の半ば一つの習慣になりつつあった。
ポットのお湯口にマグカップを置くと、ボタンを押してお湯を出す。お湯と共にほんのり湯気が出て、コーヒーの香りがその場に漂い始める。
適量まで入れ終えると、小夏はマグカップの中にティースプーンを入れてぐるぐると30秒程かき混ぜる。それが終わるとマグカップを持って零さないようにしながら、キッチンスペースからリビングスペースへと戻って来る。
マグカップをテーブルの上に置くと、置いていた自分のスマホが短く鳴った。
「(メッセージアプリの通知?旦那‥‥いや、蘭かな)」
小夏は見る前からはメッセージの送り主は蘭だと予想する。ソファーに腰掛けて画面を開けば、その予想は的中していた。
『今日、颯人君に抱かれちゃった(ハート)』
「何だ、ただの自慢か‥‥」
友人からのメッセージを冷ややかな目で小夏は見下ろすと、スマホを再度テーブルに置いて冷めない内にマグカップに口を付ける。
口の中に広がるのは、コーヒー独特の苦味。幼い頃はこれがトラウマで飲むのが苦痛だった。学生時代も飲めなかったが、就職して某飲料メーカーの社員になると、商品開発課の試作品のコーヒーを飲む事が増えて、いつの間にか飲めるようになった。
それで今では嗜好品の一つになったのだから、分からないものだ。
「温かい」
普段から飲んでいるものだから味はそう変わらない。けれど、そのいつもの味が、温かさが、小夏にとってはとても大事な時間であった。