ふたつのツーショット-4
しのちゃんがまっすぐに右腕を伸ばして指さした山肌は、まだ夏の名残を残してくっきりと濃い緑に包まれている。ガムの色みたいだね、と言いかけてやめる。俺もうちょっとムードのある言い方ってできないのかね。
背中のリュックからペットボトルを出して、半分くらい残っていたぬるいポカリを一気飲みする。しのちゃんも隣で、キッズリュックからランチボックスと一緒に出したピンクの水筒に口をつけて麦茶をこきゅ、こきゅと飲んでいる。嚥下とともに小さく動く、うっすらと汗ばんだ首筋。その下の……ん、今日のカットソーは首が高めだな、胸チラはあきらめるか。
俺もリュックから、さおりさんが持たせてくれたランチボックスを取り出す。ベルトを外してフタを取る。おお、豪華だ。海苔が巻かれたちょっと大きめのおにぎりが二つ、丸いハンバーグ、マカロニサラダ、卵焼き、タコさんウインナー。
「わあ……おいしそうー」
しのちゃんもランチボックスを開いて目を輝かせている。喫茶店のナプキンで手を拭き、両手を合わせてできた親指と人差指の間の谷間に、しのちゃんはピンクの短めの箸を、俺は割り箸をそれぞれ挟み、目の前の晩夏から初秋に移りかけた景色を拝むようにして
「いただきます」
と、二人で声を合わせる。まずは……ハンバーグだな。デミグラスソースが絡めてあって、ふわっとした感じに焼き上がっている。うまい。やっぱさおりさん料理上手だな。
ハンバーグを咀嚼しながらしのちゃんを見ると、素手でおにぎりを持ってぱくり、とかぶりついている。
「おいひー」
口いっぱいにごはんと具の焼き鮭を頬張りながら嬉しそうに嬌声を上げ、両足をぱたぱたさせる。何度でも言おう、かわいい。語彙力が貧困だけど、でもこの単語以外しのちゃんに当てはまらない。かわいい。
「そういえばしのちゃんもちょっと料理するんだよね」
「うん!あたしすごいんだよ、五つも料理つくれる」
「へえ、何を作ってるの?」
「んーと、サンドイッチと、野菜サラダと、ポテトサラダと、シーザーサラダと、マカロニサラダ」
サラダばっかじゃねえか。まあ確かに火を使う料理はまだ危ないしな。
「このマカロニサラダ、あたしが作ったんだよー」
しのちゃんが、まだちょっとぎこちない手付きで箸を使い、マカロニサラダをつまみ、その箸先を俺の口元に近づける。
「はい、お兄ちゃん。あーん」
おいおい、ちょっと気恥ずかしいぞ。でも。
「ありがとう、あーん」
開いた俺の口腔内にしのちゃんの箸が入る。マヨネーズの柔らかな酸味とスライスオニオンの辛味が味蕾に広がる。おお、結構うまいぞこのマカロニサラダ。隠し味は黒胡椒だな。
「しのちゃんおいしいよこれ、本当に。すっごくおいしい」
俺はうんうんと何度もうなずきながら言った。ピンクの箸を持ったまま俺の表情を見ていたしのちゃんの顔も、すっかりご満悦だ。
「でしょ?あたし、いいお嫁さんになれるとおもうなあ」
マカロニサラダを飲み込みながら苦笑いする。俺も器用だな。
「お兄ちゃんと結婚して、料理作って、お兄ちゃんがお仕事から帰ってきたらいっぱい歌を歌ってあげて……それから……きゃー」
ええとしのちゃん、まわりには子供連れがたくさんいて。
「ねえお兄ちゃん、いつ結婚する?」
箸でつまんだタコさんウインナーが滑り落ちそうになる。
「う、うん……ママが、いいって言ってくれたら、かな」
タコさんウインナーを口に放り込んでもしゃもしゃと噛む。ゆうべの怡君さんの話を聞いたあととあって、「結婚」という単語に妙に反応している。しのちゃんの年齢からいって全く現実味のない話だけれど、しのちゃんはそういう法的な話ではなく「いつも一緒にいる」状況を結婚に仮託しているんだな。
たぶん俺は、これからもずっとしのちゃんを愛し続ける。それが今から九年後、しのちゃんが18歳になったときまで持続できればしのちゃんと結婚するんだろう。でも、確かに俺も、できればもっと早く、しのちゃんと一緒に「生活」がしたいと思い始めている。小学生、中学生のしのちゃんの「保護者」でもありたいし、それに、まあ、一緒に住んでいればしのちゃんとも、その、性愛だってもっと綿密に。
「お兄ちゃん、なにニヤニヤしてるの?」
卵焼きを頬張っているしのちゃんが俺の顔を覗き込む。おおっと、真っ昼間のこんな健全な場所で、裸のしのちゃんとベッドの上でいちゃいちゃする妄想なんかしちゃいけないし、その妄想で勃起なんかしちゃいけない。膝の上にあるのが大きめのランチボックスでよかった。
でもなあ、しのちゃんと生活するって、現実にはどうすればいいんだろう。しのちゃんが大人なら同棲もありだけど、小学2年生の今ではあまりにも非現実的だ。じゃあ、さおりさん親子と俺が同居、でもどういう名目で?
「ね、写真撮って」
しのちゃんの声で我にかえる。
「あっち、山のほうすっごくきれいだから、あたしとお兄ちゃんが一緒に入るようにして撮ってほしいな」
「うん」