ふたつのツーショット-2
無意識にさおりさんをチラ見する。その視線に気づいたさおりさんが俺を軽く睨む。
「私と先生が並んで座って、その前で父がすごく怒ってて……なんの弁解もさせてくれないの。大人がこんな子供と交際するなんて異常だ、って。先生、ずっと黙ってたんだけど、すっ、と立ち上がってね」
そのときを再現するかのように、怡君さんが背筋を伸ばす。
「『僕は怡君さんを愛しています。真剣におつきあいさせていただいています』って、大きな声で言ったの。父、気圧されちゃったのかぐぅ、と黙っちゃって。私もびっくりした。先生ってふだんは物静かで、大声を出すような人じゃないし……でも私、それで涙が止まった。で、父に言ったの。『私も先生のことが心から大好き。こいびと、としてだけじゃなくて、ひとりの大人として尊敬している。これからもお付き合いをさせてください』って」
怡君さんのグラスの中でワインが小さく揺れる。
「そしたらね、ずっと横で話を聞いていた母が、『お父さん、私がちゃんと見守るから、二人のことを許してあげたら』って。先生にもね、『怡君のことを本当に大事にして、この子の心や身体を傷つけたりあなたが学校の先生でいられなくなるようなことをしたりしないと約束してくださったら、母親の私はあなたたちのことを認めます』と言ったの。私、また泣いちゃった、うれしくって」
ワインをひとくち飲んだ怡君さんが、俺のほうにまっすぐ向き直る。
「こういうことがあったの。だから私、さおりさんからしのちゃんとお兄さんの話聞いたときに、まるで自分たちみたいだな、って思って。先生と出会ったときの私はしのちゃんよりは年上だったけど、子供なのは同じだし」
怡君さんがやわらかな笑顔を見せる。
「しのちゃんを、幸せにしてあげてね」
なんだ俺、なんで涙が滲んでくるんだ。その涙の理由ってなんだ。
「ふふ、お兄さんしっかりして。大変だよ子供との恋愛って。先生もいろいろあったんだから」
カウンターの上のiPhone12がひゃん、と鳴り、怡君さんが画面をタップする。
「『電車に乗ったら連絡してね、駅まで迎えに行くから。夜道は危ないよ』……いつまでたっても子供扱いなのかなあ」
「怡君ちゃんのだんなさん、いっつもこうやって迎えに来てくれるよね」
「うん、ありがたいんだけど、車の中でね、『お酒のんだ男の人には悪いことする人もいるから気をつけてね』とか、『普段でも、ちょっとでも恐い思いしたらすぐ連絡してね、僕、飛んでいくから』って話、ずっとしてるの。私、お酒出すお店で三年以上働いててもう29歳なんだけどなあ」
おおげさに顔をしかめる怡君さんの口調はなんだか嬉しそうだ。いいだんなさんだな。ん?いつまでも子供扱い?
「怡君さんのだんなさんって、もしかして……」
「へへへ」
怡君さんがiPhone12の待ち受け画面を俺に向ける。東京のスカイツリーを背景に怡君さんとあのスリムな男性が並んで肩を寄せ合って写っている。二人の背丈は、さっきの中正紀念堂の写真と違ってほとんど差がない。
「これね、おととしかな。東京へ新婚旅行も兼ねて行ったときの写真」
ドアの窓越しに手を振る怡君さんの姿がゆっくり左へ動き徐々に加速していく。怡君さんの最寄り駅方面へ向かう電車が先に出発すると、終電も近づいたホームは急に静かになった。
「この間俺が聞いたことの答えって、もしかして怡君さん、ですか?」
黄色い線の内側で電車を待ちながら、隣に立っているさおりさんに話しかけた。さおりさんの頭が俺の視界のいちばん低いところで小さく揺れる。
「そう。怡君ちゃんね、『しのちゃんとお兄ちゃんを信じてあげて』って。『自分たちは本当にお互いが愛し合っていて児童虐待みたいなことはなにもなかった、最終的にこうして結婚もした、しのちゃんたちが結婚まで行くかどうかはわからないけれど、お互いを大事に思っているのなら見守ってあげてほしい』とも言ってた」
二番線、お下がりください、空港方面の各駅停車が参ります。アナウンスと接近ブザーが人気のないホームに響く。
「私ね、思わず聞いちゃったの」
さおりさんがいたずらっぽい笑顔で俺の顔を覗き込む。
「怡君ちゃんとだんなさん、初めてキスしたのって怡君ちゃんがいくつのとき?って」
ホームに六両編成の電車が入線してくる。UVカット加工された窓から見える薄青色の車内に乗客の姿はほとんど見えない。
「怡君ちゃんが中3のとき、だって。お兄ちゃんも、そこまで待ってて欲しかったなあ」