安倍川貴菜子の日常(3)-4
「まあ、お兄ちゃんが抱きつこうとした瞬間にクリスさんが投げ飛ばしたから良いんだけど、外国人のクリスさんに対して恥を輸出したみたいで本当に恥ずかしかったよ」
「へーっ、クリスさんって何か護身術みたいなものをやってるのかな?」
「聞いた話だとクリスさんって護くんのお爺さんの秘書兼ボディガードみたいな事をしてるらしいから見た目と違って武道全般得意みたいな事を言ってたかな」
恋する乙女の様に瞳を輝かせクリスの事を話す若菜。その話を聞きながら貴菜子は昨日見たクリスの容姿を思い出し、自分より背の高い男子を投げ飛ばす様子を想像したのだった。
その後、投げ飛ばされた圭吾はクリスに散々説教をされた事や若菜がクリスにほめられた事、その様子を見ていた護が普段学校では見せない表情で笑ったり慌てたりしていた事を若菜は楽しそうな顔で貴菜子に話していると担任が教室に入ってきて、みんなが席に戻ると朝のホームルームが始まった。
「じゃあ、朝のホームルームをこれで終わりにするわね。あと、神野くんはお昼休みに進路指導室に来るように」
護達の担任である西宮先生は護にそう伝えると颯爽とした足取りで教室を後にしたのだった。
「護、お前何したんだ?」
呼び出しに心当たりのある護がやれやれといった感じでため息をついていると、後ろの席の圭吾が護の肩を引っ張り問い詰めてきた。
「別に何もしてねーよ。てゆーか、先週の進路希望調査を何もしてないから呼ばれたんだろうけどね」
「それダメじゃん…ん、いや待てよ、その手があったか。進路の話をネタにして京香先生と二人で愛の進路指導なんて……」
圭吾が何やらブツブツ言いながら邪な笑みを浮かべているとそれを見ていた護は呆れ、妹の若菜は兄の奇行に哀れんだ眼差しを向けると何やらやるせない表情になった。
担任の西宮京香先生とは若手ながら教育手腕の優れた英語担当の先生で、性格も明るく人当たりが良い事もあって男女問わず生徒達から慕われている人物である。
男子生徒にはモデルじみた美貌と色気そして教師らしからぬフランクな態度で接してくれるので絶大な支持を受け、女子生徒からは優しいお姉さん然とした態度で色々な相談事を聞いてくれるのと同時に的確なアドバイスもしてくれるので人気があるのだった。
そして、午前の授業が何事もなく終わり護は早めに昼食を食べ終わると席を立ち進路指導室に向かおうとすると圭吾が護に呼びかけた。
「しっかり絞られてこいや」
「うっせ。お前もそのうち同じ目に遭うんだろうよ」
圭吾の笑い声を背に護は教室を出て行くのだった。
護が一階に降り職員室の隣にある進路指導室のドアをノックをして入ると既に西宮先生が待っていた。
「ああ、神野くん早かったね」
「何言ってるんですか。早く来ないと駄々こねるくせに…」
笑顔で迎え入れる京香に対し、やれやれといった表情で向かいに座る護。
椅子に座り一息ついた護を京香は確認すると手元にある自分のクラスのファイルを開き何枚かページを捲り、神野護と書かれたところで止めた。
「さて、今日の呼び出しについてなんだけど理由は分かってるよね」
「はい、進路の事ですよね…」
にこやかな京香に対し護の表情は神妙なものだった。それもその筈で護の進路希望調査票は自分の名前以外はほぼ白紙の状態だった。
「うーん、出来れば神野くんの保護者の方とも話をしたいんだけど、お爺さんは日本に帰ってこないの?」
「あー、すみません。昨日、家に来たんですが今朝早く帰りました」
護が申し訳なさそうな顔で伝えると、京香は「あっちゃ〜、一足遅かったかぁ」と言いながら教師らしからぬ態度でため息をつくと部屋の天井を見上げた。