ザイフェルトの修行と厄祓い(前編)-1
ストラウク伯爵領は、ターレン王国の他の伯爵領よりも、先住民の祟りの力の影響は受けにくい土地であった。
耕作に適した住みやすい土地という意味では、北のテスティーノ伯爵領や東南のリヒター伯爵領のほうが住みやすい土地である。
双子の山の懐は深い。小高い山に囲まれた盆地には、ターレン王国最大の面積と貯水量を持つスヤブ湖がある。大人が徒歩でスヤブ湖を一周すると、夜通し歩き続けても2日以上かかるほどである。
耕作よりも漁をする方が適していた。また、山には狸や兎なとがいて狩猟もできる。ただし山には、人にも襲いかかる獣もいる。山から山羊を捕まえてきて飼いならし、乳酒を醸造している。
この土地に来た移民たちは、先住民たちと協力して湖や山で暮らした。他の土地のように移民と先住民の戦いが起こらなかった。環境が厳しい土地では、協力しなければ人は生きていけない。
まさに山紫水明の地である。
「フリーデ、リヒター伯爵領も良いところだが、この土地もとても素晴らしいところだな!」
幌馬車の旅をリヒター伯爵領からザイフェルトと続けているフリーデも双子の山の木々の色づいた紅葉をながめ、その色の鮮やかさに感動している。
ストラウク伯爵は山で暮らしながら修行をして暮らしている人物だと、カルヴィーノやヘレーネから聞かされていた。カルヴィーノの剣術の師匠は、ストラウク伯爵と父親のテスティーノ伯爵で、このふたりは同じ剣術の師についた兄弟弟子で、本当の兄弟のような仲だとザイフェルトは聞いていた。
「幌馬車がめずらしいのでしょうか、太ったネコみたいなのが見てますけど」
「あれは狸だよ、フリーデ」
少し離れた茂みのそばで空き地で昼食を食べているふたりを狸が3匹じっと見ていた。
狸は冬に備えて、毛足の長い冬毛に変わる。ベルツ伯爵領の森林のネコは毛足が長い種類のものもいる。フリーデは初めて狸を見て、変わったネコだと思った。
ザイフェルトが腹でも空かせているのかと思い、干し肉を投げてやった。あわてて茂みに隠れてから、おずおずと出てきて、干し肉の匂いを嗅ぐと3匹で取り合いを始めた。
ザイフェルトが苦笑いしながら、もう2切れほど放り投げてやった。すると3匹の狸は、もう取り合いはせずにおとなしく食べていた。
フリーデはその様子を見ながら、クスクスと笑っていた。
「あの狸たちはレチェと同じで、人を見てもこわがったり逃げたりしないのですね」
「このあたりには、人があまり来ないのかもな」
ザイフェルトとフリーデは3匹の狸に見送られ、ストラウク伯爵の家までの山道を幌馬車に乗って進んでいった。
途中の村で、ストラウク伯爵の暮らしている場所を村人にたずねると、道を教えてくれただけでなく、干し肉までふたりに持たせてくれた。
たまには山からおりて村に元気な顔を見せてほしいと伝言を頼まれた。ストラウク伯爵は、村人たちから「スト様」と呼ばれて慕われている。
「あんたたち、いい日に来たね。ついてるよ、今夜はうまい兎鍋だからね!」
幌馬車に伴走してアルテリスが、馬の背にがっつりと積んだ狩猟してきた成果をザイフェルトとフリーデに自慢した。
先導しているテスティーノ伯爵の馬の背にも、大袋に入れられた今夜の食材が積まれていた。
「狸よりも、兎のほうが肉はうまいよ。山犬や狸より臭みがないから。あたしたちは、猪を狙ってたんだけど、見つからなくてさ」
狐耳に赤い髪、凛々しい美貌。狩猟着のズボンのお尻のあたりから狐のしっぽが生えたアルテリスの男勝りな気兼ねしない口調で話かけてくる明るい声を聞きながら、馭者をしているザイフェルトの隣でフリーデは、まるで山の獣が美女の姿になってあらわれたような不思議な気持ちになっていた。
(ザイフェルトとの旅は、すごく楽しいことばかりです!)
ベルツ伯爵領から追放されて盗賊に捕らえられたバーデルの都までの旅や、バーデルの都からリヒター伯爵領までの不安な気持ちで胸が苦しかった旅とくらべると、ザイフェルトと一緒に旅をしているのは、フリーデにとって楽しくてしかたがない。
(不思議な土地だとヘレーネから聞いていたが、獣みたいな女までいるのか!)
ザイフェルトは騒いだりはしない。しかし、とても驚いていた。狸ぐらいでは驚かない彼も、アルテリスにはさすがに驚いた。
「ふふっ、この土地でも、アルテリスさんみたいに、頭に耳やお尻にしっぽのある村の人はいませんよ」
「そうなのか。山奥に住んでいる村人はそういうものなのかと思ったよ」
マリカに兎鍋のおかわりをもらったザイフェルトが言った。
「大陸は広いから、他にもアルテリスのような娘もいるかもしれない」
テスティーノ伯爵はザイフェルトにそう言って、山羊の乳酒をぐいっと飲んだ。
「山の暮らしが気に入ったようで、このふたりはなかなか帰らないのだよ」
「スト様だって、あたしたちがいるほうが退屈しないんじゃない?」
「ふふふ、たしかにな。テスティーノ、少しだけ山に入ると若い頃に戻ったような気にはならぬか?」
「兄者と修行していた頃には、嫁はいなかったではありませんか」
「テスティーノと兎狩りに行って、熊にはちあわせた時は喰われるかと思った」
「そうでしたね、ちょうど今頃の季節でした。冬眠するために喰いだめするので気が立っていて」
「熊もいるのですか?」
「おるよ。姉山のほうにはな。こちらの妹山は熊の縄張りではないよ」
ストラウク伯爵も山羊の乳酒をぐいっと飲みザイフェルトに言った。
双子の山は姉山と妹山と呼ばれ、採取できる山菜や茸もちがう。
「ベルツ伯爵領にも熊はいるかね?」
「います。俺の知っている熊は、おふたりの話している熊よりも小さめで、立ち上がっても人の背丈を越えたりはしませんよ。黒い毛色で胸のあたりが白いものもいます」
「ほほう、山熊と野熊では、毛の色や大きさもちがうのだな」