リーフェンシュタールの結婚(前編)-8
ヘレーネの母親アリーダは、貴族階級ではない。ヘレーネは伯爵令嬢だが、血筋でいえば、半分だけ貴族といえる。
そしてアリーダとヘレーネは村人たちと一緒に暮らしていた。
地主も村人と一緒に暮らしているが、先祖が騎士であったことや、貴族の末裔である事に誇りを抱いてきた。
しかし、考え方が変われば、それは見知らぬところからやって来て虐殺して侵略した者でもある。
(地主であることを誇りに思ってきた俺は、地主の立場を失って初めて、血塗られた殺戮者でもあったことを代々誇りにしていたツケを払わされるのか?)
ザイフェルトは窓の外を見つめて考えている。人が命がけで戦うのは、何の為なのか。先住民と戦った時、相手にも命があり、家族があり、愛する者もいたのはわかっていたはずだ。
(御先祖様は、いや、俺は、人を殺したいから、殺した……それだけなのか?)
それは答えがすぐに見つかるものではなかった。何のために人を殺したのか。それは、自分が祟られて殺されたら許されるのか。
地位を奪われ、誇りを失いかけているザイフェルトは、妻のフリーデにそれでも会いたかった。何も考えずに抱きしめ合い、快感に溺れ、汗を流し、疲れ果てたら眠り、土に染まるほど耕し、収穫したものをフリーデと一緒に食べて、単純に純粋に生きたいと思った。
リーフェンシュタールの寝室で、レチェは床に身を丸めて眠っている。
ローザという女性である過去の自分と、リーフェンシュタールという男性である今の自分を切り離して生きたいと何度も思い続けてきた事を、ヘレーネに告白した。カルヴィーノと初めて会った瞬間、そして、それは前世で生き別れになった恋人シモンと再会した瞬間でもあった。リーフェンシュタール、いや、ローザはカルヴィーノに、シモンであることを思い出して欲しいと望んでしまった。
ザイフェルトが退室した応接間で、ヘレーネの手を握り返しながら、リーフェンシュタールはどんな思いを抱えているのか、心の中に隠してきた想いをひとつずつ確かめるように語っていた。
リーフェンシュタールも、カルヴィーノがモンテサントに確認したように、シモンという者が戦死していることを聞き出して知っていた。シモンは、贄に捧げられたローザの復讐のために戦い命を散らした。ローザの望みは、自分が死ぬと確信した時、シモンには自分がいない世界でも生きていて欲しかった。
「シモンを殺したのは、私だったのかもしれない」
「違うわ。シモンがどんな相手と戦い命尽きたのかは、シモンより先に死んだあなたの記憶ではわからないけれど、戦うことを選んだのは、シモン自身の運命の選択だった。人は他人に命を簡単に奪われることはあっても、運命の選択は他人にゆだねることはできない」
「再びシモンとリーフェンシュタールという男性として会う運命を私は選択したのか?」
「それも違う。この世界に産まれてくるとき、誰を親にするかあなたは選んだというつもりなのかしら。リヒター伯爵が女性と交わったから、あなたが産まれてきた。それだけが事実。子爵カルヴィーノは、テスティーノ伯爵が、アカネという女性と交わって産まれてきた。リヒター伯爵やテスティーノ伯爵、あなたの母上と村娘のアカネは、ローザとシモンをこの世界のこの時代に産み出すために交わったわけではなかった。ローザに選択することができたのは、消滅を受け入れるか否かという選択だけだった」
ヘレーネは違う。母親のアリーダは、アモスの火の神殿の神官リィーレリアを転生する目的のために、過去の世界から転送されてきたからだった。
(前世ほどの魅力はない。守護聖獣も仔猫の姿になってしまった。けれど、アルテリスのいる時代に産み出し、前世の私の記憶を再生させる役目を忠実に命がけでアリーダは果たしてくれた)
アルテリスを、過去の自分の生きている時代の世界から奪い取られたリィーレリアは、アルテリスと再会するために、アリーダを未来の世界へ行かせてヘレーネとして産み落とさせたのである。
そこまで手間をかけて再会した獣戦士アルテリスは、すっかりスティーノ伯爵と恋をして、のぼせてにやけきっている女になっていた。
「ローザ、今は男性の肉体になっているけれど、女性と交わりたいと思ったことはある?」
「一度もなかった。カルヴィーノに会うまで、前世の心が潜んでいると思わなかったから、女性に興味が持てないのは異常だと思っていた」
「男性から肉体を求められたことや男性を求めたことは?」
「カルヴィーノに会うまで胸が高鳴る相手はいなかった。美しいとブラウエル伯爵が私に言ったことがある。抱きついてきたので思いっきり殴った」
「質問が悪かったわ。ザイフェルトがとても悲しいことがあって、ただ抱きしめていて欲しいと言ったら?」
「本当にそれだけなら、抱擁する」
「……唇を重ねてきたら?」
「そこまで許すわけにはいかない」
「もし、それがザイフェルトではなく、カルヴィーノだったら?」
「えっ、それは……」
「相手の肉体が、男性か女性かということが大事なことだと、ずっと思い込んできたのね。誰に教えられたのかしら?」
「男性と女性が愛しい者と交わる、それが普通なのでは?」
「ローザ、私の記憶を少しだけのぞかせてあげる。恋に普通なんて甘い考えは、通用しないってことを、ね」
ヘレーネがリーフェンシュタールの唇を奪った。その瞬間、アモスの火の神殿で愛の言葉や誓いを交わし、抱き合い唇を重ねて愛撫しあう女性たちの姿や興奮や快感がリーフェンシュタールに流れ込んできた。
ヘレーネは唇をふれあわせるだけのキスをしただけだったので、すぐに唇は離れた。リーフェンシュタールは目を閉じたままソファーに背中をあずけて、しばらく動けなくなっていた。
リーフェンシュタールに伝えられたのは感応力がある恋人たちが、自分の快感と相手の快感を同時に心をひとつになるような悦びを感じ合いながら交わる、美しい姿だった。