第二章 姫君の敵はタコ-1
「おやおやタタリさん……どうやらネズミを1匹取り逃がしましたかね?」
薄暗い室内の壁いっぱいに、無数のテレビモニターが並ぶ。
部屋の明かりはテレビからのブラウン管の明かりがあるだけで、他に照明器具はないようだった。
「……まさかあのネズミが女性だからと言って、油断したわけじゃあないでしょうねえ」
からかうような老人の声は、テレビモニターの正面にしつらえられた、黒い革張りの豪奢なひじ掛け椅子に座る人物のもののようだ。
頭巾で目元以外を隠した、怪しげな老人である。
「……いいえ、あるじ殿」
不意に。
そんなしゃがれ声が、なんの気配もなく、椅子に腰掛けた老人の背後から響いた。
薄暗い部屋に溶けたような、漆黒の忍び装束の上から、ケモノの毛皮で出来た上着を羽織った忍者であった。
しゃがれ声の忍者は続けた。
「こう見えてこのタタリ、あるじ殿のお気持ちはお察ししているつもりでございます」
暗がりから老人を見つめる忍者の両目だけが、ギラリと輝いた。
「本来の我らの目的以外にもうひとつ、あの女ネズミをあなた様にお贈りする趣向……まずは油断させ、この要塞の奥深くまで引き入れてご覧に入れましょう」
忍者が邪悪な笑みを浮かべ、両目がゆっくりと弓なりに歪んだ。
「ほほう……ではそちらのほうは任せましたよタタリさん」
部下である忍者タタリの言葉に満足した様子で
「それではわたしはコチラのお客様を楽しませて差し上げましょうかね?……ウヒヒヒヒヒヒヒヒヒ…」
頭巾をかぶった隙間から、老人らしからぬ欲望に満ちた目をギラつかせ、彼はシワだらけの指先でひじ掛けに備え付けられた操作盤に触れる。
「ウヒヒッ……ポチッとな?」
不気味な笑いに身を震わせ、はしゃいだ声で老人はモニターの1つを注視したのだった。
テレビモニターの1つに、別室が映し出される。
コンクリートに囲まれた、殺風景なことこの上ない一室であった。
しかし、
「……ほーれ、ポチッ、と」
老人の指がさらにスイッチを押すと、様子が一変する。
部屋の中央の床が真四角に開き、床下から寝台らしきものが浮上してくる。
寝台と言っても、白い布を敷かれた台の端に枕らしいものがあるからそう見えるだけなのかもしれなかったが。
しかし、そこに横たえられて眠っているものこそが、それを寝台であるのだと確信させる。
両手足を寝台にくくりつけられた、哀れなヤスミン姫その人であった。
その可憐な美貌の半分を白い布で塞がれてはいるが、言葉や悲鳴こそ奪えてもその美しさは損なわれてはいない。
動きを封じられていなければ、まるで童話の眠り姫そのものにさえ見えるだろう。
「ウヒヒ……お目覚めの時間ですよ姫君?」
邪悪な老人の声がスピーカー越しに響いて、安らかに閉じられたヤスミンの長いまつ毛がピクリとふるえ、眉間に縦ジワが寄った。
「う?……ゥ……ぅウウ〜〜!!」
ゆっくりとそのまぶたが開かれ、目に飛び込んだ自身の姿にヤスミンは抗議の叫びを上げたのだったが、それは口元の布に封じられて小さなうめきにしかならないのだった。
「……怖がらないでください姫君、いまから姫をたっぷりとおもてなしさせていただこうとしているだけですからねえ……たっぷりとね」
愉快そうなスピーカーの声が続く。
「さて姫君、この国の地下に、大変貴重な地下水脈があるのをご存知かな?」
叫べないならせめてにらみつけるだけでも、とカメラを鋭く見返していたヤスミンの表情が青ざめる。
「そう……国王とあなただけが知る、この王国最大の秘密……周辺国が水不足や飢饉にあえいでいても、なぜかちっぽけな小国ココダットだけは被害をまぬがれ、国と国民をほそぼそと生かし続けて来た王家の秘宝、地下の大水脈ですよ」
老人の言葉を振り払うように、髪を乱して頭を激しく左右に振るが、スピーカーの声は耳の中に無慈悲に突き刺さってくる。
「地下水脈の権利を無償で提供するならば、わが組織がこの小さな国を守って差し上げる、と王に言ったのですがね……国王ときたらとぼけるばかりで……自分たちだけで貴重な水を使おうなんて、ひどい国王でしょう?……それでまあ、仕方なくあなた様にこちらに出向いて頂いた、というわけなんですよねウヒヒヒヒヒ」
(……暴力で言うことをきかせようとするなんて、ひどいのはそなたたちでしょう!!)
ヤスミンは心の中で反論する。
(国王がそうであったように、どんなことをされたって、わたくしはそなたたちに屈したりしません!!)
言葉を発せないまでも、彼女は強く心に誓うのだった。