強制捜査-8
銀三は意味有り気に顔を振り、
「俺がアンタに使った以外は無い。」
「すぐに半グレ共が電車で暴れ出して、警察やアンタらが電車に出張ってきたから使う機会が無かったそうだ。」
と話す。あれから電車内の警察の見回りも強化され、車両内にも監視カメラの設置が多くなった。銀三のグループも開店休業の状態だ。真理子は銀三にツープッシュを使われた記憶が蘇ったのか顔を赤らめ、
「薄める前の原液?」
「その状態の時に使った事を聞きたいの。」
と銀三に言う。真理子達の捜査課が痴漢の囮捜査をするきっかけになったと思われる事件だ。銀三は、
「詳しくは分からねぇ、俺はやっちゃいねぇからな。」
「だが、仲間は売らねぇぞ!」
と声にドスを効かす。真理子はたじろぎもせずに銀三を見返し、
「銀三さんの仲間がツープッシュを使った痴漢被害者達は訴えを取り下げたわ。」
と言う。銀三はキョトンとして、
「何で?」
と聞く。真理子は、
「良く覚えていない事もある見たいだけど、報道され世間の注目に晒されるのが嫌みたい。」
と答える。続けて、
「被疑者達が証言しないと公判が維持出来無いと検事が言うのも有り、銀三さんの仲間は逮捕を免れるわ。」
「別に無罪放免じゃ無いから、その事は肝に銘じて。」
と厳粛な口調で話す。実際、ツープッシュの事が報道されても名乗り出る被害者は予想以上に少なかった。訴えた後、世間からのセカンドレイプと言われる風評被害を恐れているのだ。銀三が、
「原液で使ったら、効き過ぎて女がぐったりになるんだと。」
「触り放題だったが、大した事して無いって言ってたぞ。」
「痴漢は女の表情を見てするもんだ。」
と言うと真理子は銀三を見て、
「多少は痴漢したんでしょ?」
「それに使った事自体が傷害罪に当たるわ。」
と咎める。銀三はそれに反応して、
「アンタ、俺訴え無いのか?」
「逮捕しないのか?」
と平然と聞いて来る。真理子は黙り込む。最初の電車内でのツープッシュを使った行為は許し難く、怒りを覚えたのも事実だ。だが銀三のペースに嵌り関係を持つにつれ、自分の中でも有耶無耶になっていた。
管理人室でツープッシュを使った行為は、銀三に強いられたとは言え淫らな言葉を口にし、自分でも赤面する程の痴態を晒した。しかも撮影されて、より興奮していたのだ。何より銀三を訴える気はそもそも無かった。
それどころか、銀三と会えると思うと胸が高鳴ったし顔が火照ってくるのだ。流石に今日は仕事が立て込んでいて、何事かする時間も無かったが。電車がホームに滑り込み、多くは無いが乗客が降りて来た。周りに二人以外誰もいなくなると真理子は俯き、
「訴え無いわ…」
と呟く。銀三は微笑み、
「そいつは、良かった。」
と言い、
「捜査は終わったし、俺と会う必要も無いだろう。」
と話す。真理子はやや驚き顔を上げ銀三を見る。銀三は、
「アンタを夜中に呼び出す事も無い。」
「例の管理人室のビル、もうすぐ取り壊しが始まるってよ。」
と言う。真理子は慌てて、
「私とはもう会わないと?」
と確認する様に聞くと銀三は頷く。そして、
「そうだ、アンタとはもう会わない。」
「安心しろ、こんな所に呼び出す事も無ぇ。」
と笑う。真理子は思わず、
「私に飽きたの?」
と言って自分でも驚き赤面する。銀三は真顔で真理子を見つめ、
「いや、そう言う訳じゃ無ぇよ。」
「アンタとは会わない方が良いと思ったんだ。」
と話し、真理子が何か言い掛けるのに被せて、
「アンタ、例の強制捜査の前の晩飯食いに行ってたろ?」
「有名な中華屋で、家族連れでよ。」
と続けた。真理子は驚き、
「どうして、知っているの?」
と聞くと銀三は、
「あの近くが仕事現場で、たまたま見掛けたのさ。」
と話す。そして少し考える様子で、
「アンタ、女房に似てんだ。」
と話す。真理子は予想外の言葉にビックリして、
「銀三さんの奥さんに似てるの?私。」
と聞くと銀三は言いにくそうに、
「ああ、だからアンタをサワったのさ。」
「ヤバい女と分かっていたのにな。」
と告白する様に話す。真理子は、
「銀三さん、結婚していたの?」
と意外に思って口に出す。銀三は顔を振り、
「女房は、かなり前に死んだ。」
「交通事故で、腹に子がいたんだ。」
と言うと真理子は、
「ごめんなさい。」
と謝ると銀三は手を振り、
「もう、昔の話だ。」
「俺が二十歳そこそこの時の話よ。」
と言い、
「アンタ、子供二人いるんだな。」
としみじみ話して真理子を見る。
「それを見て、俺はアンタともう会わないと決めたのさ。」
と話した。真理子は呆然としていた。自分が銀三の妻に似ていた事も戸惑ったし、家族連れの真理子を見て関係を断つと決めた事も何故かは分からないがショックだった。銀三は真理子に背を向けて歩き出してすぐ止まると振り返り、
「ああ、後一度だけ会う必要が有ったな。」
「リュウとの司法取引だっけ?」
「そいつが成功したら、例の証拠は削除する。」
「その時が来たら、連絡する。」
と言うと再び背を向け歩いて行った。真理子は銀三が立ち去るのを見送るとベンチに座った。動揺していた、それも自分でも驚く程。銀三との関係は永続的な物と思っていなかったが、突然過ぎて心が付いて行かなかった。
だが、すぐにも支部へと戻らなければならない。やるべき事が山程有るのだ。真理子は溜息を一つ付くと何とか身体を起こして反対側の乗降場所へと歩く。涙が出てくるのを必死で堪えながら。