はるかぜ公園の涙・家飲み-2
渇ききった俺の口の中で舌が上顎に張りつく。もう終わり、か。
「……」
しのちゃんが息を呑むのがわかった。しばらく沈黙が続く。トウカエデの林でクマゼミが鳴いていて、公園の外の道を大型トラックが一台通り過ぎる排気音がごごごと響く。
それらの音がフェードアウトしていくと、鼻をすする小さな音が聞こえてきた。それはやがて大きくなり、ひっく、ひっくと息を吸い込む音が混じり始める。
「……やだぁ……お兄ちゃんに会えなくなるの、ぜったいにやだ……」
しのちゃんの声が震えている。
「あたし、あたし……お兄ちゃん大好きだもん……お兄ちゃん、やさしくって、ひっく、いっつも遊んでくれて、さんすうも教えてくれて……ぐすっ、お兄ちゃんといっしょにいたら、さびしくないのに……」
そして、しのちゃんは声を上げて泣き出した。思わず目を開けるとしのちゃんは、母親に両手を握られベンチの脇で立ったまま、顔を少し上げて泣いていた。両目から流れる涙が、しのちゃんの頬や口元をつたって顎の先から公園の地面に落ちていく。
うぇーん、うぇーん、と声を上げて泣くしのちゃんを見つめながら、俺の胸は数立方ミリたりとも空洞がないかのように締め付けられていた。自分の邪な行為が露呈したかもしれない不安よりも、しのちゃんを泣かせている辛さや申し訳なさのほうがはるかに大きかった。俺の目尻にも涙が浮かんでくる。いや、この状況で俺が泣くのはおかしい。涙腺を必死で引き締める。
母親がゆっくりと立ち上がる。しのちゃんから離した両手を、そっとしのちゃんの背中に回して抱きしめる。母親に抱きしめられて、その身体に顔を埋めたしのちゃんの泣き声が少しくぐもって聞こえる。
どうすればいいんだろう。頭の中を七色の何かがぐるぐると回る。まとまらない思考回路がやみくもに暴走している。不安と罪悪感と恐怖と、そして居心地の悪さ。しのちゃんの母親の審判を待つしかないのか。
母親に背中を撫でられて落ち着いてきたのか、しのちゃんの泣き声は徐々に小さくなっていった。その背中から腕を離した母親は、再度スマートフォンを取り出してしのちゃんに渡す。
「これで、好きなアイス、買っておいで」
鼻声だった。しのちゃんはまだ少ししゃくりあげながらこくん、とうなずいてゆっくりとアイスの自販機へ向かって歩いて行く。それを見てこちらに向き直った母親の目は赤くなっている。
「……あなたがいまおっしゃったことと、しのから聞いたこと、だいたい同じでした」
鼻をすん、とすすった母親は、初めて表情を少しほころばせた。
「そうでなくても親の都合で寂しい思いをさせて、ここでも友達がなかなかできなくて……たぶん今、しのが私以外でいちばん親しく思っているのはあなたなんでしょうね」
母親はひとつ息をつくと、栓が開けられないまますっかり汗をかいているジョージアの缶を指先で指して、どうぞ、と言った。
「すっかり心を寄せているようです。あなたは、しのの父親だった人と同い年なので、しのにとってはとても親近感がある年齢の人なんでしょうね。優しそうな雰囲気だし……」
ジョージアがいつもにも増して苦い。
「父親も親戚も、もちろん兄弟もいないし、学校の先生も正直あんまり頼りにならなくて……しのにとっては、代わりになってくれているのがあなたなんだと思います」
小さな笑顔を見せる。
「ただ」
その笑顔が再び消える。
「まだ、私の心の整理がつかないんです。あなたを信用していいのか、あなたがしのにとって『こいびと』であっていいのか」
爽健美茶を一口飲んで続ける。
「あなたのことはよくわかりました。その上で、ちょっといろいろと考えたいんです」
「……わかりました」
そう、返事するほかない。
携帯電話の番号を教えると、母親は爽健美茶のキャップを閉めて立ち上がった。
「連絡します……それまで、しのとは会わないでいてください」
しのちゃんがワッフルコーンショコラアイスを手にして戻ってくる。母親はその左手を取った。
「しの、帰ろう」
「……え……ママ、お兄ちゃん、は?」