聡美(五.)-1
それからまもなく、前田から辞職を願い出る連絡をもらったという話を店長からきいた。
前田の名前をきいたとき、聡美は自分の股間がうずくのを感じた。
その日を境に聡美の頭の中から前田のことが離れることがなかった。
あれから前田とは会っていない、会いたいとも言ってこない。それでいいのだと何度も自分に言い聞かせた。
そんな聡美の理性の箍がはずれるのは時間の問題だった。
パートが休みの平日、聡美は近所のドラッグストアで男性用避妊具を一箱買うと、そのまま前田のアパートへむかった。
玄関のとびらが開いて前田が出た。聡美は何も言わず部屋の中に入ると、あとはもう欲望に身を任せるままだった。
それから前田との逢瀬がはじまった。土日祝日は家族が家にいることが多いので外出することは難しい。だから前田と会えるのは平日のパートが休みの日か、仕事終わりに前田のアパートへ向かうその日のみだった。
とはいえ、あまり頻繁にアパートへ出入りしていると近所の人に怪しまれる可能性があったので、あるときは駅から電車で隣町まで移動したのちホテルの前で待ち合わせたり、あるときは聡美が夫に無断で乗用車を運転し、途中で前田と合流すると、ひとけのない公園や山林地帯の駐車場に停車させ、そのまま車内で行為に及んだり、ときには野外で身体を重ね合うこともあった。
関係が深くなってくると、今度は前田のほうから聡美の家にやってくるようになった。
最初はリビングで行為に及んでいたが、やがてキッチン、玄関、階段、ベランダと、家じゅういたるところで情事にふけるようになっていた。
ただ、子どもたちの部屋と夫婦の寝室だけは、なにがあっても絶対に侵入を許さなかった。それは久藤家の主婦として、かろうじて残った最後の理性だったのかもしれない。
行為が終わり、前田が帰ったあと、聡美は家の中を念入りに掃除した。もちろん痕跡を残さないためだが、聡美はこういったことには人一倍気をつかった。ソファやカーペットの上で交わるときも、ニオイや染みがつかないようにシーツやタオルを何枚も敷いて行為に及んでいたほどである。それでもいつかどこかに痕跡を残し、家族の誰かにばれてしまう日がくるのではないかと、ハラハラしながら日々を送っていた。
あるとき、聡美が自宅の風呂場でシャワーをあびていると、急に前田が入ってきて、背後から立ったままいきなり男性器をねじ込んできた。男女が交接する淫らな音と、シャワーの水が床にはねかえる音が風呂場の中に響きわたった。やがて前田は絶頂をむかえ、聡美の中から男性器を引き抜いたそのとき、あるトラブルが起こった。
避妊具がやぶれていたのである。聡美の陰部から白い液体があふれ出し、ボタボタと床の上にこぼれた。
それを見ても前田は謝る素振りも聡美の身体を気遣う気色も見えず、無雑作な手つきで避妊具をはずすと、それをぽいと投げ捨て、そのまま風呂場から出ていった。
聡美も急いで股間と床を洗い流して風呂場を出た。このとき、前田が投げ捨てた避妊具の存在には気がつかなった。
前田はもう衣服を身に着け、家から出て行くところだった。つぎに会う日取りだけをきめて前田は去っていった。
聡美は服を着替えてリビングに向かうと、かばんの中から錠剤の入った袋を取り出し、コップに水をそそいで薬といっしょに飲み込んだ。
薬はアフターピルで、婦人科のクリニックで処方してもらったものだった。
聡美が安全日だとわかっている日の前田は、いつも避妊具をつけなかった。そのままで挿入し、射精するときは身体のどこかに出すか、口の中に男性器を突っ込み、排泄するように欲情を放出した。
それでもやはり妊娠の不安はぬぐえなかったので、不測の事態にも備えて病院で低用量ピルとアフターピルを処方してもらっていたのである。
ただ、アフターピルは服用をすると、副作用と行為の疲れとで猛烈な眠気におそわれる。
その日も家の掃除を済ませたあと眠気におそわれ、ソファの上で眠っていると、つい寝過ごして智司の帰宅に間に合わなかった。
家の中での情事は続き、あるときはパートの残業で遅くなった帰りに前田と合流して、そのままホテルに直行したこともあった。
そんな放埓な日々を過ごしていたある日、急に前田との連絡が途絶えた。
アパートに行っても留守で、電話もLINEも音信不通だった。
――もうあきてしまったのだろうか?
――それとも、べつに若い彼女ができたのかもしれない……。
そんなことが聡美の脳裏によぎったが、不思議なことに、前田に対して嫉妬や憎しみの感情はまったく湧いてこなかった。
それからしばらく平穏な日々が続いた。身体のうずきはあったが、理性の力でおさえこみ、時が経つと共に欲情する心も落ち着いていった。