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夜宴
【SM 官能小説】

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夜宴-15

エピローグ………夜宴という風景について

誰にでも、自分が知らないあいだに潜んでいる性的な風景の記憶がある。おそらく静代夫人の記憶にとって、事実とか、真実という言葉は必要がなかった。彼女にとっては、《自分のためだけに存在する夜宴》という風景だけが正気の記憶であり、狂気を孕んでいる純粋な性の記憶だったと、私はふと思った。
久しぶりに会ったY…医師はあの頃と変わらない端正な顔をし、背が高く、肩幅の広いしなやかな身体つきをしていて、とても六十歳を過ぎた年齢とは思えない若々しささえ感じた。
彼はホテルの窓から夏の黄昏に包まれた階下の街なみを見ながら、淡々と静代夫人のことを私に語った。
すべてがよくわからないと彼は言った。彼は静代夫人の殺人容疑で逮捕されたが、その後、静代夫人の死因が心臓発作であることが遺体の解剖でわかり、SMプレイ中に死亡した後に彼が夫人の首に手をかけたことが判明したことから彼は無罪となった。あれから二十年、彼は事件後、妻と離婚した。ただ、すでに死んでいた夫人の首をなぜ彼が絞めたのかは、いまだに定かでなく、彼自身の記憶のどこにもその行為の痕は残ってはいなかった。
Y…医師は、クリニックを訪れた夫人を何度か診察していたが、あの夜に限って彼女の口から語られる言葉によって、彼はまるで毒を盛られたように意識の乱れを感じ、彼女の中にのみこまれていったという。ただ彼はどうしてそのSM専用のホテルに彼女といたのか、まったく覚えていないという。そのホテルは《夜宴》という名前だった。しかし夫人の意識の中にあった《夜宴》といったいどんな関係があるのかはわからない。

静寂が混沌とした残響音となって私とY…医師とのあいだに沈澱していく。過去と現在が、時間と世界から切り離されているような不思議な感覚が体の隅々に拡がっていく。
二十年前、まだ三十歳だった私は心と性を病んでいた。そして私は彼の患者だった。同時に私は彼とパートナーとして関係を続けていた。愛人関係でもなく、恋人同士でもなく、私たちの関係にはパートナーという言葉が一番、ふさわしかったと思っている。なぜなら私は、彼に首輪をされた瞬間から《そういう女》として身も心も解き放たれたのだから。

今、彼はふたたびあのときと同じように私に首輪をして、私が望むとおりのことをしてくれる。そして私は彼が望むことを受け入れる。それは二十年前と変わらないことを感じた。
彼のイニシャルが刻まれたプレートの付いた懐かしい首輪は私だけのものだった。首筋のひんやりとした甘美な感触は、首輪が語る言葉を聞き取ることができる。首輪から聞こえてくる誰かの遠い声は、おそらく私自身の告白の声かもしれない。
「ぼくは、静代夫人にこの首輪を嵌めたのだろうか」と彼は不意につぶやいた。
「あなたにとって、夫人はそういう女になりかけていたということかしら」と私は言った。
「この首輪は夜宴に捧げる女の首に嵌(は)める特別のものかもしれない」
 そう言いながら彼は私の首筋にゆっくりと指を這わせ、首輪をなぞった。それは私と彼のあいだにある未知の記憶を探るような指だった。
「私はあなたにとって、夜宴の女になれるのかしら……」
 
彼は私の衣服を音もなく優雅な指使いで脱がせる。黒い下着だけを纏った私の身体をたくましい両腕で彼の厚い胸まで抱き上げるとベッドに横たわらせ、うつぶせにする。私の手足がベッドの上に拡げられ、手首と足首がベッドの端々に紐で縛られる。私はどんな動作も許されず、どんな感情も封じられる。ベッドの前の壁は全面が鏡になっている。鏡はベッドの上でX字に拘束された無防備な私の顔と裸の背中を映し出している。
 彼の指が私の背中の窪みに触れてくる。そして背中から足先まで、私の体の輪郭を彼のものとして確かめるようにゆっくりとなぞる。私は彼の肉体や骨格、そして血流を、彼の指先が含んだ体温から心と体に吸い込む。ふたりのすき間が埋められていく甘美な感覚に私はなぜか懐かしいものを感じた。
彼は私の耳元の髪をかきあげ、頬にキスをした。とても静かな優しい口づけだった。私はまぶたの裏に何か遠い暗闇に包まれた風景を見ていた。
 彼が私の耳元で囁いた。
「ぼくは、きみと再会したときから、静代夫人のことを考えていた。もしかしたら夫人が鏡の中に見ていた女は、きみではなかったかと。なぜならきみは、すでに《夜宴》という風景を信じ、きみ自身の欲望を鏡の中に描こうとしているのだから。二十年前のあのときから……」
 彼はゆっくりと私の体から離れるといつものように愛用の黒い鞭を手にした。
 そのとき私は、この物語を書こうと思った………。


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