婚外恋愛 (2) / 番外編:美魔女グランプリ・前夜(後編)-1
八年前、私の知らぬところで浮気していたゆき。
あの夜しきりに「これが最初で最後」だと確認しあい、お別れのビデオまで撮影した二人だが、結局その約束は果たされなかった。Yが海外赴任で旅立つまでの約一ヶ月、二人は文字通りセックス漬けの日々を送ることになる。
Yによると、送別会の週明け水曜日、彼らは打ち合わせ帰りにホテルに入りさっそくセックスしてしまう。
仕事中でもセックスできるとなると、燃え上がった男女がブレーキをかけるのはほとんど不可能である。昼休みに、外出の行き帰りに、そしてたまの残業中に、タガが外れたように彼らは毎日交わった。
この時期、時短勤務のはずのゆきがたびたび私に「年度末で忙しいから」と子どもたちの保育園の送り迎えを依頼してきたことを覚えている。仕事が少し落ち着いていた私は、快く早引きして家のことを引き受けていた。その裏でゆきは、後輩男子との逢引を重ねていた。
どうせ一ヶ月後、二人は離れ離れになる。タイムリミットは男女の「悲恋」の格好の舞台装置となり、ゆきとYは刹那的で破滅的な行為にのめり込む。終わりが確定していることで、逆にそれまでは安心して溺れられるという感覚が二人ともにあったとYはいう。この間、避妊はしっかりしましたと取り繕うようなことを言っていたがなんの慰めにもならないし、よく聞けば避妊と言ってもそのほとんどが生挿入で顔面または口内射精していただけだった。
*
「この先ゆきさん、たぶん他の男とも浮気するんじゃないかな……」
いつだったか、居酒屋でZがつぶやいていたことを思い出す。「心が不安定なときいい男にグイグイ来られると弱い」のだと、ゆきの悪癖をずばり喝破された。
私はゆきと、恋人時代も含めずっとうまくやってきたつもりだった。私の中のゆきといえば、目尻にきゅっと皺を寄せ、小首をかしげて屈託なく笑うゆきである。子どもたちや私にいつも優しく微笑んでいる記憶しかない。
でもそれは正しい記憶だろうか。都合よく記憶を上書きしていないだろうか。Zの言葉と八年前の彼女の不貞行為が重なる。背筋が寒くなる。
「もちろんゆきさん自身は自分から積極的に浮気する人じゃないですよ。ただ男の方から寄ってくるでしょ、ゆきさんの場合」
数年前、笑顔の裏でゆきはたしかに疲れていた。ふとしたとき、ぼーっと心あらずな表情を見せることもあったかもしれない。夜ベッドで誘っても「疲れてるから」「ごめんね」と背を向けられたことは一度や二度ではない。我慢できず、ときに自分の想いを果たすためだけの自分本位なセックスを幾度か繰り返した末、私たちは完全にセックスレスになった。
妻から夫へ突きつけられた、明確な「ノー」。日常生活に疲れ、身勝手な夫に呆れたゆきの前に「いい男」が現れれば――。
「ゆきさんてね、意外とずるずる流されちゃうところがあるんですよ」
知っている。これまで何度も見せつけられてきた。
「そしてキスに弱い。女性はみんなそういうとこありますけどゆきさんは特に」
これも知っている。ゆきはキスで「女」のスイッチが入る女だ。居酒屋でのZの言葉はあくまで未来予想だったが、それは「過去」に当てはまらないことを意味しない。彼の言葉が次々と脳裏に蘇る。
「グイグイ来られてずるずる堕ちていく自分自身に酔っちゃうんです」
「このタイプの女性は浮気中に、『悪いことしてる私』『男の人にとって都合のいい私』『夫でもない男性にこんな恥ずかしいことされてる私』を客観的に見て惨めになって興奮するんです」
「本来浮気に抵抗あるはずの貞淑で常識的な人妻さんが意外なほど不倫にハマっちゃうことがあるんですが、たいていその人はドMです」
妻にはGとの浮気という前科もある。
Yとの一件で確信した。ゆきは、もともとが「浮気体質」の女だった。
完璧な妻、完璧な母、完璧なビジネスウーマンというゆきのペルソナのうち、「完璧な妻」の仮面がまず、はがれた。
いつも私に向けてくれていたあの屈託のない笑顔の裏で、ゆきは一時期、「私の妻」でいることを、密かにやめていた――。