『夕子〜島の祭りの夜に啼き濡れて…〜』-5
3章 祭りの夜
翌日。小谷島のあちらこちらに提灯がぶら下げられた。民家の軒先。商店街。港に漁船。海神様を迎えるためとされるこの祭りは、小谷島の夏の風物詩。神社を中心に露店が並び、淡くも華やいだ雰囲気に島は彩られる。大小様々に、また、中には金魚や船を象った(かたどった)提灯を飾る商店もある。朝一は懐かしさを憶えながら、神社から商店街を見て歩く。夜店ではしゃぐ子供の背中が、朝一の目許を緩める。商店街を抜けた辺りで一旦立ち止まり、振り返る。携帯をかざす。明るさを補正して、液晶に収める。再び歩きながら睦美宛てのメールを打ち込む。
「かき氷、買ってってよ。朝ちゃん」
おどけた声。メールを打つ指と、歩みを止める。露店の裸電球に、夕子の笑顔が照らされていた…。
「何やっとるんね」
朝一は笑いながら近付く。それよりも大きな笑みを浮かべて夕子が答える。
「留守番よ、留守番。頼まれてね」
淡いピンクのポロシャツ。首に巻き付けたタオル。ボタンを開けた胸元。女の…匂い。
「ごめんね夕ちゃん」
背中で声。
「あら、朝ちゃんじゃない」
肩を叩かれる。顔見知りのおばさん。汗をかいた笑顔に島の女の逞しさを朝一は見る。店番のお礼にと渡されたかき氷を、二人は歩きながら食べる。互いの家に通じる海岸線。途切れ途切れの街灯。波が優しく浜に寄せては返す。
「可愛い人だね、睦美さん」
後ろにひとつにまとめた夕子の髪。日に焼けていない白い肌が、闇に浮かんで見える。子供の頃、夏は互いの日焼けを競い合った。二人の歩幅が、闇の中で重なってゆく…。
堤防が途切れ、浜に下りる階段が現れる。
「朝ちゃん、いい?」
夕子が目で浜を指す。
「あぁ…」
一瞬、脳裏をよぎる昨夜の母の恫喝…そして、胸にしまいこんだあの日の“口づけ”。階段から浜に下り、岬に向けて夕子は歩き出す。振り返る。二人。島のあちこちで、提灯が柔らかな灯りを放っている。いつになく島が明るく見える。堤防を背にして夕子が浜に座る。眼前の海に、月明かりが揺れる。
「おばさん、どうなんだ?」
横に座りながら朝一が聞く。
「難しいみたい…」
意外にさばさばと答える夕子に、朝一はその覚悟を知る。畑から蛙の声が響き、呼応するかのように虫達が鳴く。波は穏やかに、何度も繰り返す。
「嬉しかったんだよ…あの時。かなり驚いたけどね」
夕子の横顔に朝一は言葉を失った…。
知っていた。気付いていた。朝一の胸の奥で、あの日の雷鳴が響き返す。夕子は変わらず沖を見ていた。
「黙ったまま…死んでくれたらいいのに」
夕子の唇が震え、大きな涙が月灯りに反射する。
「おばさんの…こと?何バカなこと…」
朝一の言葉を遮って夕子が堪えきれず泣きじゃくる。
「辛かったぁ」
必死に笑みを浮かべようと夕子が顔を上げる。指先で涙を掬い、夕子は笑おうとしている。
「私達…いとこ…じゃないんだよ」
笑おうとする自分と泣き崩れる自分が、夕子の肩を大きく震わせた。思わず掴んだの夕子の手首に、激しく流れる血液を感じる。
「どういう…こと」
掴んだ手首を離し、震える夕子の肩を抱く。
「夕ちゃん…」
波が押し寄せる度に、二人の月日を剥ぎ取っていく…。
「お母さんと、朝ちゃんのお母さんは姉妹じゃないの」
夕子の語り始めたことに、朝一の視界が狭まってゆく…夕子の祖母は昔、反物の行商をしていて、この小谷島を訪れた。大きな籠を背負い、まだ乳飲み子の赤ん坊を抱いて…。
「ちょうど朝ちゃんの家だったらしいの…倒れたのが…」
落ち着きを戻し始めた夕子が、朝一の肩に身を寄せる。
「そのまま、息を引き取ったって…残されたのが…」
「夕ちゃんのお母さん?」
こくりと頷いて、夕子が目を閉じる。身元すら分からないまま月日は過ぎ、夕子の母は、朝一の祖母が引き取ることに決めた。
「だから…本当のいとこじゃ…ないんよ、私達」
言い切って夕子は、大きく嗚咽して泣いた。
「いつ聞いたの、それ」
雲間に月が隠されてゆく…。