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触覚
【SM 官能小説】

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触覚-8

一時間半ほど過ぎたとき彼の携帯に電話が入り、Y…は黙ったまま小さく頷くと電話を切った。
「あの男と雪乃の行為が終わったみたいです。彼はとても満足していました」
 終わったという意味が何をさしているのかぼくにはわからなかった。
彼はパソコンをたたみ、鞄の中に入れるとゆっくりと立ち上がった。
「きみの大切な時間を邪魔しても申し訳ない。いや、もしかしたら私が雪乃との行為を終えるまでが、きみの大切な時間かもしれません。きみは、自分の眼がどんなものになっているかわかっているでしょう。だから私と雪乃の行為を眼の中の感傷として見ることができる……とても性的にね」と彼は薄い笑みを頬に浮かべながら言うと、ぼくを残して店をあとにした。


 深夜の喫茶店には、いつのまにか数人の大学生らしい男女がぼくと反対側の隅の席に座り、何やら話をしていた。店内にはあいかわらずモーツアルトの音楽が静かに流れ続けている。ぼくは読んでもいない本を目の前に拡げている。
なぜか、ぼくはその場所に居続けていた。なぜそこに留(とど)まっているのか自分でもわからなかった。店内の時計の針は止まったままだった。実際は動いているかもしれないのに、ぼくにとっての時間は進んでいない。
本を読むふりをして煙草に火をつけ、おかわりした珈琲を啜る。止った時間の奥に流れる憧憬が少しずつ見えてくる。ぼくはY…に抱かれる雪乃さんを眼の中に感じていた。

ぼくは瞳を閉じる。雪乃さんの顔が光を透かした天鵞絨(ビロード)のように浮かんでくる。彼女の顔を虫になったぼくの眼がなぞっている。それは、もしかしたら眼でなくて、《瞳の中に潜むぼく自身の意識そのもの》かもしれない。後ろ手に手錠を嵌められた雪乃さんが、Y…の股間に顔を埋め、黒々としたペニスを生々しく咥えている。美しい唇が痛々しくゆがみ、荒い息づかいと淫蕩な唾液を洩らしている姿が浮かんでくる。
Y…に鷲づかみにされた彼女の乱れた黒髪が頬に垂れ、彼女は無理やり彼のものを咽喉の奥深くまでしゃぶりあげることを強いられている。狂おしく身をよじる彼女の唇の端から唾液が糸を引くように止めどもなく滴り落ちている………。
その憧憬は恐ろしいほどぼくの虫の眼という意識の網膜に燦爛と映っていた。まるで悪夢と現実の境をさまよい、ぼくの身体全体が虫の殻で覆われ、体の感覚が失われ、眼の中の意識の細胞だけが息づき、彼女に向けられているようだった。
次の瞬間、ぼくが見ていたものは雪乃さんの唇ではなく、彼女の肌の上を這っているY…の唇だった。手錠を嵌められた彼女のしなやかな裸体が押しつけられたY…の唇によってゆがみ、弓なりにのけ反り、熟れきった乳房と背中の翳りが狂おしく喘いでいた。
Y…は、あの巨体の男が雪乃さんの白い肌に刻んだ鞭の赤い条痕を舌先でなぞりながら笑っていた。それがぼくに向けられたものなのか、雪乃さんに向けられたものなのかはわからなかった。視線は毒を含んだ棘のような悪意になり、ぼくの眼の中に滲み込んでくる………。


お客さま、申しわけありませんが、今夜は閉店になります。不意に喫茶店の店主に声をかけられ、ぼくは我に返った。いつのまにか店内に客は誰もいなくなり、照明が微かに暗くなっている。ぼくは店主に軽く頭を下げると店をあとにした。
あのホテルに続く闇に包まれた路地から、Y…と雪乃さんの気配が伝わってくるような気がした。そして汐路の微かな笑い声が夜の静けさに霏々(ひひ)として滲みわたるように聞こえてきた。そのとき、ぼくは自分の意識の中に冴え冴えと光を放つ虫の眼を感じた……。


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