Perfume-10
「――――――それにしても、ジドール以外の街の人間にまで俺のことが伝わっているとは驚いたよ」
セリスの傍らに立ち、彼女を見下ろす形で出し抜けに管理人がひとりごちた時、
思索から引き戻されたセリスは一瞬あっけにとられた。
相手の発する“言葉の意味”が正直分からなかったからだ。
思わず管理人の顔を見上げたが、セリスから見ても管理人の無表情には大きな変化や乱れは浮かんではいない。
「えっと・・・それはどういう」
「別に隠さなくてもいい。薔薇の観賞自体はついでにと言ったところだろう?
・・・・ここに来るご婦人方は皆そうさ。今日は・・・そう、朝方に来た街郊外の未亡人だったな」
( !!! )
管理人の言葉がセリスの鼓膜を揺さぶり、彼女が見た“小屋から出てくる貴婦人”が見間違いではなかったことが明らかになった。
同時に小屋の中で“何が行われていたのか”もセリスが薄々想像していた通りだったことが、管理人の言葉の端々から読み取れた。
そして彼が次に“何をしようとしているのか”も。
ここで漸くセリスは自らの身を守る行動に移ろうと、腰に下げたレイピアを手にして椅子から腰を上げかけた。
――――――――グニャリ・・・・・
「くっ・・・・!!」
セリスの視界が歪み、身体の力がゆっくりと抜けていくような感覚に襲われた。
「さっきの・・・お茶の中に」
かつて“同様の目的”で一服盛られた経験のあるセリスとしては完全に油断していたと言わざるを得ない。
「本当は痺れ薬なんて要らないとも思ったんだが、万が一気が変わって抵抗されても面倒だったんでな。
・・・・・もっとも俺としては最初から従順なのよりも、抵抗するのを屈服させるのが好きなんだが」
「く・・・・ぅっ!!」
男の言葉を尻目に、前後不覚になりながら立ち上がろうとするセリスだったが、足に力が入らないまま、腰を上げた瞬間、そのまま床に倒れこんでしまった。
――――――ドサァァッッ・・・・・
――――――ガシャァァン・・・・・
セリスの腰に下げていたレイピアの鞘が床に音をたててぶつかり跳ね上がる。
先程までセリスの手にあったカップはかろうじて卓上に残ってはいたものの、カップの底に残っていた僅かな雫は卓上から床に一滴また一滴と垂れていくのが床に横たわるセリスの視界に入っていた。
「それにしても・・・一目見た時から、あんたの身体は際立っていたよ。
これまで相手にしてきたご婦人方にはない締まりの良い肉体が服の上からでも分かった。そんなに鍛えている女性というのはなかなかいないからな・・・・・」
真上から降ってくる管理人の感嘆混じりの言葉を尻目に、
セリスは残った力を振り絞り両腕を支えにしてよろよろと上体を起こした。
正直なところセリスの胸中に、男が自分に対して具体的に何をしようとしているのかを明らかにしたいという“背徳の焔”がじわりと立ち上がりつつあったのだが、
この時のセリスには戦士として身の危険から逃れようとする本能がまだ勝っていた。
ましてや相手はセリスの名も知らず(結局セリス自身が名乗るタイミングを逸したのだったが)、フィガロ王妃という“雲の上の立場”にいることすら承知していないように見受けられたからだ。