深層心理と赦しの儀式-1
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ときに、あの元ゲリラ少年が捕獲された直後。
素っ裸で両腕を縛って吊し立たされた少年への尋問と懲らしめで、やっぱりセラがご活躍していた。
ヒュンッとナイフが空を切る度に、陰毛がパラパラと千切れ落ちる。玉巾着は恐怖にすくみ上がって、まるで股間の恥骨にめり込まんばかりだった。
「そんなに怯えまくらなくても。そのうちに女の子になっちゃいそう? ここで私がそうしてあげましょうか?」
冷酷で邪悪な微笑を浮かべるセラ。
「落とし前も色々と」
実際のところ、ゲリラは捕まえた村人の腕を切り落としたり、目玉を抉ったり去勢する「恐怖と絶望を与える戦術」を駆使してくる。
それに対抗するために村人も凶暴化している。
セラは生まれの事情もあって、内心に「自分は村側の人間だ」と示したいとか、いつか自分を奪い返しに来るかもしれないカルト・ゲリラへの恐怖。彼女自身は村側で受け入れられていても、デリケートな感性からは一抹以上の苦悩があるものらしい。
彼女にとって、ナイフはペニスの代用品なのかもしれない。男根ファシズムを越えるサディズムは切実な欲求でもあるだろう。パトリシアへの甘えや執着も、自分の存在が許されて受け入れられている満足感が隠れた深層心理だろうか。
「それとも乳首でも切り取ってあげようかしら? 男には必要ないものね」
明らかに楽しんでいる?
だが、こうやって〆(しめ)の儀式によって、拉致されて強要されたとはいえ、「盗賊ゲリラ加担」した罪を贖う助けになるだろう。たとえ反省したと言っても、村側で許され受け入れられるためにも、本人の気持ちの切り替えでも何かしら必要である。同性の男同士で過剰に痛めつければ禍根が残るため、替わりに女性が請け負っている事情もある。
こうして女から適当になぶられたあと、左右に並んだ男たちから「厄落とし」に棒で叩かれながら走り抜け(細くて鞭に近く、叩いても重傷にはならない)、仕上げに(本人が指名した女性)からお清めされる(義理の姉妹や義母・叔母などの擬似的な親族関係になることが多い)。なぜならゲリラから救出された少年兵士には身寄りがない場合も多いため、救済措置の一面もあった。
ついでに同じ部屋で、低音量でテレビ画像装置に映されている動画は、キリスト教会の異端審問とイスラム聖戦士による現地無法ゲリラへの手足切断・焼き殺し(活き活きとしている?)。世界中でこんな具合だった。キリストやマホメットが説得・征伐したらしい古代邪教らしき集団が復活してきて、日々闘争。お互いの見栄もあるようで、残虐な刑罰を競っているかのようだ。