『彩音〜刻まれた夏の熱〜』-6
スクラップブック。恭一の居ない、恭一の部屋。丁寧にファイルされた1頁1頁を、私はゆっくりめくってゆく。思いきり笑った、顔。澄まして見つめる、顔。中でも私が好きなのは、目を閉じ、顎を上に向けた、モノクロのチラシだった。絶望に打たれる顔にも見えれば、口付けをせがむ顔にも見え、私の胸をくすぐった。恭一の所属するモデル事務所は、地元では名の知れたところで、他にも多くのモデルやタレントを抱えている。その中でも恭一は際立った存在として、こなす仕事量も多かった。稀に、都市部からの依頼も受け、いつかはこの街を出て…なんて恭一の言葉が私の胸をざらつかせた。恭一が居ない時間は、ひどく臆病で、ひどく長く思える。
＜明日帰るよ…＞
そのメールが液晶と共に私の胸に明かりを灯す…。
住み慣れた街の、見慣れた駅。ロータリー。夕刻。ガラスの向こう。行き交う人。駐停車の繰り返し。傾きかけた陽のぬくもり。1台の白いワゴン車が滑り込んでくる。シートに身を正し、視線を流す。スライドしたドアから嫉妬しそうな細い脚が降りる。ジーンズ。恭一の、青。ラジオのボリュームを絞り、視線を向ける。気付いた恭一が、小さく笑みを投げる。私の唇に浮かぶ、3日ぶりの名前…
「おかえり、恭一」
伸びる足元の影。その影に立つ、もうひとつの、影。長い髪。大きなバッグ。Tシャツ。私の眉間に、小さな力が入る。着いて、来る…。恭一の後ろ。長い髪の、女も、私の方へ向けて歩みを始める。前を歩く恭一が、少年のような笑みで、私を捕らえる。少しづつ、近づく…。
助手席のドアが開く。
「ただいまぁ。お迎え、ありがとう」
いつもと同じ。本当に嬉しそうに恭一は、笑む。その笑みの後ろ。女が軽く腰を折って、私の視界に入る。
「撮影で一緒だったんだ。聞いたらさ、家が近くてさ」
恭一は優しい。それは、私に対して。そして、誰に対しても。嫌味でなく、その優しさは、いつも自然だった。
「腹減ったからさ、一緒に食べて帰ろうよ」
走り出した私の車。助手席の恭一が、軽く首をひねって、後部座席の女を誘う。私より、先に…。
「いいんですか？」
女の返事に
「いいよな？」
と、初めて恭一が私に問う。転送されたメールのように、その問いが、私を苛立たせる。
「疲れてるんじゃない？」
1ミリすら顔を動かさず言葉を返す…そっ気ない、言葉…。
車を停められるレストラン。空腹を満たすだけ。恭一と女は、撮影の話に盛り上がる。笑えるであろう撮影のハプニングの話を私に向けてしてくれる。でも、笑えない。二人が、笑う。“私と恭一”ではない、二人が。突然雨に降られた様な時間。傘もなく歩く様な時間。女を降ろすために遠回りをし、恭一の部屋に戻っても、重く低い雲は胸の中に、ある。
「ただいま」
私の肩に手を載せ、小さいキスをくれる。破裂しそうな想いが恭一を抱き寄せようとする。背中に手を回そうとした瞬間、恭一が私から離れる。
「また見たなぁ、スクラップブック…」
床に置いたままのそれを手にし、恭一が照れながら私を見遣る。
「恥ずかしいから見るなよ」
そう言いながら浴室に向かう恭一の背中が、どこか、遠い…。